月陰伝(一)
『ねぇ、妃さん。
良かったのかい?』
『いいのよっ。
本当に二人とも頑固なんだからっ』
『妃さんを心配してるんだよ。
こんな、どこの馬の骨とも分からない男に、大事な娘をやるなんて、普通出来ないよ?』
『何よっ、普通ってっ。
うちのは絶対普通じゃないわよ。
それに、瑞樹さんは瑞樹さんよっ。
私は瑞樹さんと一緒になるの。
どこの誰かじゃないわっ。
そんな事も分かんないなんてっ』
出会って一年。
結婚は、もう少し先にしようと言う瑞樹さんを押し切ったのは私だった。
船上パーティーで出会った人。
一目惚れだった。
色素の薄い長い髪。
切れ長の瞳に、薄い唇。
こんな綺麗な男の人がいるなんて信じられなかった。
優しげな微笑は、常にどんな時でも絶える事はなく、そんな無害そうな見た目なのに、実際は世間を斜めに見ている人。
見た目とのギャップに、もっと好きになって、はまっていった。
付き合いはじめてからその事を告げたら、ものすごく笑われたのを覚えている。
『っくくっ、君は良い目をしてるねっ。
真実を見る目だ』
その目が好きだと言われてから、カラコンをやめた。
私自身の目を見て欲しかったから。
恋は盲目と言うけれど、本当にそうなんだと気付いたのは、結婚してからだ。
ようやく、私だけの人になった瑞樹さんに安心したんだと思う。
余裕が出てきて気が付いた。
瑞樹さんの笑みに、どこか影がある事に…。
『…瑞樹さん?
疲れてる?』
『うん?
そうかも。
でも、それは妃さんもじゃない?
働かなくてもいいのに』
『平気よ。
それに、初めて働くって事を知ったわ。
辛いけど、楽しいっ』
学生時代にもアルバイトをした事がなかった。
する必要もなかったし、興味もなかった。
親の元を飛び出した以上は、今までのように、好き勝手にお金を使うことはできない。
瑞樹さんの収入は、一般のサラリーマンの三倍くらいだけど、働く事を知りたかったのだ。
『僕のお金、好きに使えば良いのに。
夫婦なんだからさ』
『っ…嫌よ。
好きに使うのは、自分のお金だけにするの。
それに……お金は貯めるの……子どもの為に……っ』
『子ども……そっかぁ…そうだね…』
その時の顔は忘れない。
切ないような、嬉しいような、辛いような…全ての感情を映し出したような表情だった。
それがなぜなのか、ついに聞くことはできなかった……。
「っお母さん?
大丈夫?」
その声に、はっと顔を上げると、美輝が心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫よ…」
あの嵐の様な船から家に帰って来たのは、深夜だった。
あれほどの混乱の中、かなり早く帰宅出来た事に驚いた。
それも全て、久間さんと言う刑事さんと、刹那君、それと、瀬能さんのお陰だ。
船が岸に着いたのは、結華と、父親になったあの人が消えて幾分もしないうちだった。
呆然としているうちに全て片付いて、解放されていた。
「刹那お兄さん、今夜は帰って来ないのかな?」
「あっ今、メールが来ましたよ?
…『明日の夜、一度帰る』…だって」
「そっかぁ、おねぇちゃんの様子…刹那お兄さんなら分かるかと思ったんだけど…」
美輝が心配するのも無理はない。
結華のあの様子…。
姿が消える直前、それまでの様子が嘘の様に虚ろな目をしていた。
大丈夫だと言っていても、やはりあれだけの出血…。
限界だったのだろう。
あの人が現れてから、ふっとそれまで張っていた気を抜いたように見えた。
それだけあの人を信頼していたのだと感じて、ショックだった…。
良かったのかい?』
『いいのよっ。
本当に二人とも頑固なんだからっ』
『妃さんを心配してるんだよ。
こんな、どこの馬の骨とも分からない男に、大事な娘をやるなんて、普通出来ないよ?』
『何よっ、普通ってっ。
うちのは絶対普通じゃないわよ。
それに、瑞樹さんは瑞樹さんよっ。
私は瑞樹さんと一緒になるの。
どこの誰かじゃないわっ。
そんな事も分かんないなんてっ』
出会って一年。
結婚は、もう少し先にしようと言う瑞樹さんを押し切ったのは私だった。
船上パーティーで出会った人。
一目惚れだった。
色素の薄い長い髪。
切れ長の瞳に、薄い唇。
こんな綺麗な男の人がいるなんて信じられなかった。
優しげな微笑は、常にどんな時でも絶える事はなく、そんな無害そうな見た目なのに、実際は世間を斜めに見ている人。
見た目とのギャップに、もっと好きになって、はまっていった。
付き合いはじめてからその事を告げたら、ものすごく笑われたのを覚えている。
『っくくっ、君は良い目をしてるねっ。
真実を見る目だ』
その目が好きだと言われてから、カラコンをやめた。
私自身の目を見て欲しかったから。
恋は盲目と言うけれど、本当にそうなんだと気付いたのは、結婚してからだ。
ようやく、私だけの人になった瑞樹さんに安心したんだと思う。
余裕が出てきて気が付いた。
瑞樹さんの笑みに、どこか影がある事に…。
『…瑞樹さん?
疲れてる?』
『うん?
そうかも。
でも、それは妃さんもじゃない?
働かなくてもいいのに』
『平気よ。
それに、初めて働くって事を知ったわ。
辛いけど、楽しいっ』
学生時代にもアルバイトをした事がなかった。
する必要もなかったし、興味もなかった。
親の元を飛び出した以上は、今までのように、好き勝手にお金を使うことはできない。
瑞樹さんの収入は、一般のサラリーマンの三倍くらいだけど、働く事を知りたかったのだ。
『僕のお金、好きに使えば良いのに。
夫婦なんだからさ』
『っ…嫌よ。
好きに使うのは、自分のお金だけにするの。
それに……お金は貯めるの……子どもの為に……っ』
『子ども……そっかぁ…そうだね…』
その時の顔は忘れない。
切ないような、嬉しいような、辛いような…全ての感情を映し出したような表情だった。
それがなぜなのか、ついに聞くことはできなかった……。
「っお母さん?
大丈夫?」
その声に、はっと顔を上げると、美輝が心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫よ…」
あの嵐の様な船から家に帰って来たのは、深夜だった。
あれほどの混乱の中、かなり早く帰宅出来た事に驚いた。
それも全て、久間さんと言う刑事さんと、刹那君、それと、瀬能さんのお陰だ。
船が岸に着いたのは、結華と、父親になったあの人が消えて幾分もしないうちだった。
呆然としているうちに全て片付いて、解放されていた。
「刹那お兄さん、今夜は帰って来ないのかな?」
「あっ今、メールが来ましたよ?
…『明日の夜、一度帰る』…だって」
「そっかぁ、おねぇちゃんの様子…刹那お兄さんなら分かるかと思ったんだけど…」
美輝が心配するのも無理はない。
結華のあの様子…。
姿が消える直前、それまでの様子が嘘の様に虚ろな目をしていた。
大丈夫だと言っていても、やはりあれだけの出血…。
限界だったのだろう。
あの人が現れてから、ふっとそれまで張っていた気を抜いたように見えた。
それだけあの人を信頼していたのだと感じて、ショックだった…。