月陰伝(一)
「龍泉」
《あぁいっ》

血が沸き立つような一瞬のざわめきの後、空中に現れたのは、青い小さな龍。
それに向かって顔を上げ、遺言の言葉を口にした。

「僕が死んで、結華が完全に能力に目覚めたら、あの子の傍に居てくれる?」
《あたぃまえでしゅっ。
じゅっとひめしゃまといっしょでしゅよっ》
「ありがとう…」

生まれたばかりの精霊。
僕が唯一契約できた存在。
舌足らずな喋り方も、最初よりは大分上手くなった。
語彙も増えて、今は少し優秀な三歳児程度だ。
そう、龍泉との今までの事を思い出していれば、マリューが少し苛立ちながら呟いた。

「瑞樹、お前は少し、結華を見くびり過ぎだ」
「どう言う事?」

結華は確かに魔術にしろ、一族の能力にしろ、色々と可能性を持っていると思う。
だが、実際はまだ小学生の女の子だ。

「子どもだからと侮り過ぎだと言っている。
結華は、すでに精霊使いとして目覚めているぞ?
お前が、一族の血を嫌っている事を知っているから、言わないようだがな」

ウソだ……。
そんなバカな事……。

「サミューに力の扱い方を教わっている最中ではあるが、風と土、特種である雷の精霊と契約したそうだ。
その上、風と土は、それぞれの元素の精霊王並だそうだぞ?
お前が私の使い魔だと勘違いをしている黒狼がその一柱だ」
「っ……あの黒狼が…?」

だが何より気になるのはその事ではない。
一族の長い歴史の中でも、二つ以上の精霊と契約できた者は存在しない。
唯一、初代だけは四つ…四大元素の火、風、土、水の精霊を呼び出せたと言い伝えられているが、精霊王並の精霊は、火のだけだったはずだ。
他の精霊は、ほんの小さな力しか持たないものだったと言う。

「…何それ…」
「何と言われてもな…。
恐らく、結華は真紅一族でも歴代一の才能を持っていると言う事だろ?」

そう言う事になる。
これは、まずくはないか…?
一族がこの事実を知ったら…っ。

「言っておくが、現在まで真紅一族で、結華に接触できた者はいないぞ?
あの子は、血を敏感に感じ取って、幻惑の魔術で妨害している。
結華が、シェリーに初めて教わった魔術がそれだった。
お前…妙だとは思わなかったのか?
考えてもみろ。
ここ三、四年、一族の者がお前にさえ、一切接触してきていないだろう?」

そうだ…。
あれほど煩く付きまとってきていた奴等が、ある時期を境にフツリと消えた。
この病院だって、月陰の管轄ではない。
接触しようと思えば、したい放題だ。
それなのにこの約二年、何の音沙汰もない。

「……っ」

その事実に、無意識に口許を手で覆う。
頭の中は、絶賛混乱中だ。

「全く……こんな父親を守るとは、本当に良く出来た娘だ。
母親の方にも接触されないように術を掛けているようだしな…。
将来は歴史に名を残す、大魔術師になるだろう。
やはり、私の娘として申し分ない。
どこからも文句は出んだろう」

後半は聞かなかった事にする。
何て事だ…。
守るはずの娘に、実は守られていたなんて…。
その事実に愕然とした。

「っ…本当に…酷い父親だな…僕は…」
「今からでも遅くはない。
結華への態度を改めろ。
でないと、後悔するぞ」

そう言い残してマリューは帰っていった。

「…ユイカ…」

その名を付けた時に願った。
名に込めた本当の意味を思い出す。
たった一度、まだ幼かった結華に眠りしなに教えた事。
結華はきっと覚えてはいないだろうけれど…。

「…君の名は…僕の願い…。
初めて心から願った事……」

それは、身勝手な願いかもしれない。
けれど、あの子ならば必ず実現する事ができる。
そう願って、今日も眠りにつく。
数日後には、明日の来ない眠りがあると分かっていても……。


< 134 / 149 >

この作品をシェア

pagetop