月陰伝(一)
第十三章〜家族と言うもの〜
屋敷は静寂に満ちていた。
マリュヒャの部屋。
ここで律と眠るように言われ、早い時間にベッドに入った。
一眠りして、今は朝の三時。
まだ明けきらぬ朝の風に当たろうと、隣で健やかに眠る律を起こさないように、そっとベッドから抜け出し、バルコニーへと出た。
心地好い風を肌に感じる。
まだ明るい月の光を全身に浴びて、大きく息を吸いながら目を閉じる。
「風邪をひくぞ」
そっと肩にかけられたガウンの温かさを感じて振り向くと、マリュヒャが音もなく立っていた。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
マリュヒャは、あの後すぐに呼び出されて本部へと出掛けて行ったのだった。
「あらかた片付けてきた。
残りは明日以降に持ち越しだ。
凛が数日後にしか戻らんからな」
「あの方にしては時間が掛かりましたね」
「そうだな。
だが、見つかったとは言えんかもしれん」
隣へと立ったマリュヒャを見上げ、首をかしげる。
「どう言う事です?」
「…いや…まぁ、じきに分かる。
それよりも、まだ本調子ではないのだから、フラフラと歩き回るでない」
「もう大丈夫ですよ。
少し眠ったら、すっきりしました」
心配してくれるのが嬉しい。
笑いかけると、マリュヒャは、なぜか切ないような顔になった。
「?…どうかしましたか?」
そう尋ねれば、マリュヒャはそっと手を伸ばしてきた。
だが、触れる寸前で止まってしまう。
「?お父様?」
「……帰りたいか?」
「?……」
何を言っているのかが分からなかった。
苦しそうな表情の訳も、その瞳に見える不安な影も、何を思っているのか分からない。
「お前を娘にしたかった…。
瑞樹が動けなくなって、お前を手の届く所で見守ってやりたいと思い、瑞樹に告げた。
瑞樹は、渋々だが良いと言った…。
だから今回、私はお前の意思も聞かず……あの母親から強引にお前を奪った…」
確かに強引だった。
だが、あの時はあれが最も良い手だったと思う。
「…後見役と親とでは違う。
だからこそ、はっきりさせねばと思っていたのだ…。
これは、改めて聞くべきだと思う…お前は…私の娘になる気はあるか?」
今更何をと思う。
確かに母との長年の不和は解決した。
今ならば、家族として付き合っていく事ができるだろう。
美輝も、姉と慕ってくれている。
夫である明人さんも好い人だ。
刹那、雪仁、夏樹、まだ話た事はないけれど、晴海も、悪い人ではないだろう。
あの中に入っても、もう問題はなく受け入れてもらえると確信できる。
でもそれでも私は……。
長く沈黙が続いた。
マリュヒャの手は、いつの間にか下げられている。
ほんの一歩の距離なのに、とても遠く感じた。
「……ずっと不安でした…。
母に触れられた記憶がない。
父にとっても、私は好ましい存在ではなかった。
だから、シェリー様やマリュー様に触れる度、実の親との距離を感じました…。
私は、望まれた存在ではない。
そう思ったら、マリュー様の娘になるなんて考えられませんでした…」
寂しかった。
シェリルとマリュヒャ、月陰の人達と居るうちに、自分と両親の間に隔たりがある事に気が付いた。
知らなければ良かったと思った。
人の温かさも、真っ直ぐに向けられる優しい微笑みも、そんな事を知らなければ、寂しいなんて思わなかったのに…。
「私は、もう偽りの愛情は見たくありません。
母が後ろめたく思っていたように、父が、私の中の力に本当は怯えていたように…無理に……何かの義務の様に愛そうとしないでほしい…だから、マリュー様が父との約束の為に娘にするのなら、止めてください…」
そこで、静かに涙が頬を伝った。
マリュヒャの部屋。
ここで律と眠るように言われ、早い時間にベッドに入った。
一眠りして、今は朝の三時。
まだ明けきらぬ朝の風に当たろうと、隣で健やかに眠る律を起こさないように、そっとベッドから抜け出し、バルコニーへと出た。
心地好い風を肌に感じる。
まだ明るい月の光を全身に浴びて、大きく息を吸いながら目を閉じる。
「風邪をひくぞ」
そっと肩にかけられたガウンの温かさを感じて振り向くと、マリュヒャが音もなく立っていた。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
マリュヒャは、あの後すぐに呼び出されて本部へと出掛けて行ったのだった。
「あらかた片付けてきた。
残りは明日以降に持ち越しだ。
凛が数日後にしか戻らんからな」
「あの方にしては時間が掛かりましたね」
「そうだな。
だが、見つかったとは言えんかもしれん」
隣へと立ったマリュヒャを見上げ、首をかしげる。
「どう言う事です?」
「…いや…まぁ、じきに分かる。
それよりも、まだ本調子ではないのだから、フラフラと歩き回るでない」
「もう大丈夫ですよ。
少し眠ったら、すっきりしました」
心配してくれるのが嬉しい。
笑いかけると、マリュヒャは、なぜか切ないような顔になった。
「?…どうかしましたか?」
そう尋ねれば、マリュヒャはそっと手を伸ばしてきた。
だが、触れる寸前で止まってしまう。
「?お父様?」
「……帰りたいか?」
「?……」
何を言っているのかが分からなかった。
苦しそうな表情の訳も、その瞳に見える不安な影も、何を思っているのか分からない。
「お前を娘にしたかった…。
瑞樹が動けなくなって、お前を手の届く所で見守ってやりたいと思い、瑞樹に告げた。
瑞樹は、渋々だが良いと言った…。
だから今回、私はお前の意思も聞かず……あの母親から強引にお前を奪った…」
確かに強引だった。
だが、あの時はあれが最も良い手だったと思う。
「…後見役と親とでは違う。
だからこそ、はっきりさせねばと思っていたのだ…。
これは、改めて聞くべきだと思う…お前は…私の娘になる気はあるか?」
今更何をと思う。
確かに母との長年の不和は解決した。
今ならば、家族として付き合っていく事ができるだろう。
美輝も、姉と慕ってくれている。
夫である明人さんも好い人だ。
刹那、雪仁、夏樹、まだ話た事はないけれど、晴海も、悪い人ではないだろう。
あの中に入っても、もう問題はなく受け入れてもらえると確信できる。
でもそれでも私は……。
長く沈黙が続いた。
マリュヒャの手は、いつの間にか下げられている。
ほんの一歩の距離なのに、とても遠く感じた。
「……ずっと不安でした…。
母に触れられた記憶がない。
父にとっても、私は好ましい存在ではなかった。
だから、シェリー様やマリュー様に触れる度、実の親との距離を感じました…。
私は、望まれた存在ではない。
そう思ったら、マリュー様の娘になるなんて考えられませんでした…」
寂しかった。
シェリルとマリュヒャ、月陰の人達と居るうちに、自分と両親の間に隔たりがある事に気が付いた。
知らなければ良かったと思った。
人の温かさも、真っ直ぐに向けられる優しい微笑みも、そんな事を知らなければ、寂しいなんて思わなかったのに…。
「私は、もう偽りの愛情は見たくありません。
母が後ろめたく思っていたように、父が、私の中の力に本当は怯えていたように…無理に……何かの義務の様に愛そうとしないでほしい…だから、マリュー様が父との約束の為に娘にするのなら、止めてください…」
そこで、静かに涙が頬を伝った。