月陰伝(一)
「それで?
墓参りは終わったのか?」
煉夜の問いに頷く。
「お前の事だから、親父さんの方には手を合わせてないんだろ」
「いつもの事だよ」
「ったく…おい、そこの母親」
「っえ?
はい…」
煉夜が真っ直ぐに母を見て言った。
「何か言う事があるんじゃないのか?
その鞄の中の手紙とか」
「っ……!」
「煉…普通の人にそれやったらだめだって…」
「ん?
分かってしまったもんは仕方がないだろ。
ほれ、さっさとしろ。
結は察しが良い奴だが、自分の事になると鈍感だからな。
言わなければわからん。
母親なら、理解しろ」
「はい…」
何でそんなに偉そうなんだ…。
「結華…これを見て欲しいの…」
差し出されたのは、いつか見た紙。
父が持っていた便箋だった。
「…父さんの…」
受け取ると、父の好きだった藤の香りがした。
開けずにいれば、すかさず煉が言った。
「ちゃんと読め。
マリュヒャ様も、自分の口からその事を告げるのを悩んでおられる。
それをお前が知ることで、親父さんとマリュヒャ様、二人の憂いが晴れる」
そう言われて読まない訳にはいかない。
そこには、今時珍しい流麗な文字が並んでいた。
―――――――――――――――
どうしても、言えなかった事がある。
この手紙を、叶うなら、結華に見せて欲しい。
今更何を伝える事があるのかと、あの子は読んでくれないかもしれないけれど…。
結華へ。
先ずこれだけは言わせて欲しい。
愛していた。
僕の可愛い娘。
僕が弱いせいで、沢山傷付けてしまった。
もっともっと、一緒にいられたのに、それを無駄にしたのは僕だ。
どれだけ後悔してもしきれない。
くだらない意地を張って、大切な時間を…見れたはずの君の笑顔や、沢山の言葉を得る事ができなかった。
君は強いから、僕が居ても居なくても、何事もなく生きていくんだろう。
だからこそ、何一つ君との思い出を残す事なく死んでいくと気付いた今、悔しくてたまらない。
マリューは、未練なく逝けと言ったけれど、そんな事は僕には無理だ。
愛しているのだと伝える事もできず、忘れないで欲しいと口にする事もできない。
だからせめてここに残す。
愛していた。
もっと抱き締めたかった。
ずっと傍に居たかった。
きっと帰ってくる。
必ず君の傍に降り立つ。
真紅瑞樹としてではなく、真っ白に生まれ変わって、君の傍に行く。
そうしたらきっと、今までの分も、沢山、沢山、愛する事ができるから。
何の柵もなく、君を想う事ができるから。
いつの日か、必ず…。
父さんより。
―――――――――――――――
「……っ」
一粒、涙が溢れた。
それは自分でも信じられない事だった。
とうに父には何の感情も湧かなかった。
父にとっては、私の存在など疎ましい者としか認識されていないのだと分かっていたから。
「親父さんと初めて会った時、何かに耐えているようだと感じたのを覚えている。
それから、お前と親父さんとの距離を見ていて気付いた。
まるで片想いをしている者のようだとな…」
煉は鋭い。
あの違和感を……父娘としては奇妙な距離の理由を、きっと早い段階で見抜いていただろう。
「っ……弱い人だとは思ってた…。
目を合わせても…次の瞬間には、何か気まずげに反らされて…。
一族の事を知った時、理由が分かった。
私の中の血に怯えているんだと…。
ただでさえ、父の精神が弱っていくのを感じていたから…それならいっその事、距離を置こうと…」
けれど、暫くして倒れた父を無下にする事はできなかった。
一人病室で、来ない母をひたすら想っているのだと思っていたあの瞬間、それでも病室に居続けたのは、確かにそこに、立ち去りがたい何かを感じていたからだ。
そして思い出した。
たまに疲れてその場で眠ってしまうと、マリュヒャの屋敷で目を覚ました。
眠ってしまった事と、運ばれた事が恥ずかしくて、その時に感じた感触を忘れてしまっていたが…。
あの時、そっと頭を撫でる手を感じていた。
触れ方も知らないような不器用な手…。
あれは、父の手だ。
墓参りは終わったのか?」
煉夜の問いに頷く。
「お前の事だから、親父さんの方には手を合わせてないんだろ」
「いつもの事だよ」
「ったく…おい、そこの母親」
「っえ?
はい…」
煉夜が真っ直ぐに母を見て言った。
「何か言う事があるんじゃないのか?
その鞄の中の手紙とか」
「っ……!」
「煉…普通の人にそれやったらだめだって…」
「ん?
分かってしまったもんは仕方がないだろ。
ほれ、さっさとしろ。
結は察しが良い奴だが、自分の事になると鈍感だからな。
言わなければわからん。
母親なら、理解しろ」
「はい…」
何でそんなに偉そうなんだ…。
「結華…これを見て欲しいの…」
差し出されたのは、いつか見た紙。
父が持っていた便箋だった。
「…父さんの…」
受け取ると、父の好きだった藤の香りがした。
開けずにいれば、すかさず煉が言った。
「ちゃんと読め。
マリュヒャ様も、自分の口からその事を告げるのを悩んでおられる。
それをお前が知ることで、親父さんとマリュヒャ様、二人の憂いが晴れる」
そう言われて読まない訳にはいかない。
そこには、今時珍しい流麗な文字が並んでいた。
―――――――――――――――
どうしても、言えなかった事がある。
この手紙を、叶うなら、結華に見せて欲しい。
今更何を伝える事があるのかと、あの子は読んでくれないかもしれないけれど…。
結華へ。
先ずこれだけは言わせて欲しい。
愛していた。
僕の可愛い娘。
僕が弱いせいで、沢山傷付けてしまった。
もっともっと、一緒にいられたのに、それを無駄にしたのは僕だ。
どれだけ後悔してもしきれない。
くだらない意地を張って、大切な時間を…見れたはずの君の笑顔や、沢山の言葉を得る事ができなかった。
君は強いから、僕が居ても居なくても、何事もなく生きていくんだろう。
だからこそ、何一つ君との思い出を残す事なく死んでいくと気付いた今、悔しくてたまらない。
マリューは、未練なく逝けと言ったけれど、そんな事は僕には無理だ。
愛しているのだと伝える事もできず、忘れないで欲しいと口にする事もできない。
だからせめてここに残す。
愛していた。
もっと抱き締めたかった。
ずっと傍に居たかった。
きっと帰ってくる。
必ず君の傍に降り立つ。
真紅瑞樹としてではなく、真っ白に生まれ変わって、君の傍に行く。
そうしたらきっと、今までの分も、沢山、沢山、愛する事ができるから。
何の柵もなく、君を想う事ができるから。
いつの日か、必ず…。
父さんより。
―――――――――――――――
「……っ」
一粒、涙が溢れた。
それは自分でも信じられない事だった。
とうに父には何の感情も湧かなかった。
父にとっては、私の存在など疎ましい者としか認識されていないのだと分かっていたから。
「親父さんと初めて会った時、何かに耐えているようだと感じたのを覚えている。
それから、お前と親父さんとの距離を見ていて気付いた。
まるで片想いをしている者のようだとな…」
煉は鋭い。
あの違和感を……父娘としては奇妙な距離の理由を、きっと早い段階で見抜いていただろう。
「っ……弱い人だとは思ってた…。
目を合わせても…次の瞬間には、何か気まずげに反らされて…。
一族の事を知った時、理由が分かった。
私の中の血に怯えているんだと…。
ただでさえ、父の精神が弱っていくのを感じていたから…それならいっその事、距離を置こうと…」
けれど、暫くして倒れた父を無下にする事はできなかった。
一人病室で、来ない母をひたすら想っているのだと思っていたあの瞬間、それでも病室に居続けたのは、確かにそこに、立ち去りがたい何かを感じていたからだ。
そして思い出した。
たまに疲れてその場で眠ってしまうと、マリュヒャの屋敷で目を覚ました。
眠ってしまった事と、運ばれた事が恥ずかしくて、その時に感じた感触を忘れてしまっていたが…。
あの時、そっと頭を撫でる手を感じていた。
触れ方も知らないような不器用な手…。
あれは、父の手だ。