月陰伝(一)
紫藤の気配が完全に去り、静まり返ったビルの中、用は済んだと、廊下へと歩き出す。
無言で佐紀とすれ違い、冷たい廊下を進む。
しかし、いくらも行かぬうちに足が止まった。
自分でも分からない何かが、足をその場に縫い止めた。
不意に手を見れば、鉄扇を握ったままだと今更ながらに気が付いた。
その手は、なぜか小刻みに震えている。
「?…」
分からない。
なぜだろう。
体も同じ様に震えていると気付いて、知らず己れの肩を抱いた。
すると、そっと包み込む様に背後から抱き締められた。
驚いたが、私の背後を取れるのは、マリュヒャと佐紀だけだ。
「すまない…。
大丈夫か?」
コクりと頷いて、けれど泣きそうになっている自分に動揺した。
「落ち着け。
そんな風に気を乱しては駄目だろ?
大丈夫だ。
もう、二度とあの男には、俺が触れさせないから」
その言葉で、自覚してしまった。
「っ…怖かった…っ」
あんな強引に、男の人に触れられた事などなかった。
反撃ができたのは、単に条件反射で体が動いただけだ。
隙を見せた事が悔しい。
あの男に触れられた事が不快だ。
恐怖と怒り。
どちらも強い、その感情が、大きな渦となっていく。
「結華……ごめん…」
「っ謝って済むかッ。
何で来たのっ」
分かっている。
こんなのただの八つ当たりだ。
「情報部から、結華が一人でアイツに会いに行ったと聞いて……いても立ってもいられなかったんだ…本当にすまなかった…」
心配してくれたんだって分かってる。
佐紀はいつも私を気に掛けてくれるから。
「……しても良いか?」
「?何を?」
「俺がお前にキスをしても良いか?」
「?…何で…?」
振り向けば、真剣な顔の佐紀と真っ直ぐに目が合った。
「あんな奴の事を覚えていて欲しくない。
俺じゃ駄目か?」
何を言われているのか、徐々に理解する。
顔が火照っていくのが分かる。
っだって…っ何て事言うの!?
目を合わせてられない。
恥ずかしいっ…。
信じらんないっ。
こんなの…っ口直しみたいじゃないかっ…っっ!
「嫌か?」
嫌とかの問題じゃな〜いッ!!
そんな顔しないでッッ。
「っ〜…い…嫌じゃない……っけど…。
何か…こう言うのは…順序って言うか…。
恋人同士ならまだしも……」
「俺は、結華と恋人になりたいとずっと思ってた。
こんな状況で狡いかもしれないけど、結華が想いを向けて良いのは、ファリア様と律君と俺だけであるべきだ。
結華は?
俺の事嫌いか?
そんな風には思えないか?」
こんな人だっただろうか。
いつでも一歩引いて見守ってくれていた。
そんな想いに気付かなかった。
けれど、その目が。
言葉が、本気だと告げる。
だからこそ、この人ならと思ってしまう。
「…嫌じゃない…。
っ…消してっ…このままじゃ嫌だ…っ…んっ…ッ」
すぐに塞がれた唇は、優しく全てを奪う。
求められるまま、しだいに深くなっていく口付けに、呼吸が荒くなり、心臓が早鐘を打つ。
静かなビルに、鼓動が響くようだ。
ようやく離れたときには、佐紀にしがみつくように、砕けそうになる足を必死に自制し立っていた。
無言で佐紀とすれ違い、冷たい廊下を進む。
しかし、いくらも行かぬうちに足が止まった。
自分でも分からない何かが、足をその場に縫い止めた。
不意に手を見れば、鉄扇を握ったままだと今更ながらに気が付いた。
その手は、なぜか小刻みに震えている。
「?…」
分からない。
なぜだろう。
体も同じ様に震えていると気付いて、知らず己れの肩を抱いた。
すると、そっと包み込む様に背後から抱き締められた。
驚いたが、私の背後を取れるのは、マリュヒャと佐紀だけだ。
「すまない…。
大丈夫か?」
コクりと頷いて、けれど泣きそうになっている自分に動揺した。
「落ち着け。
そんな風に気を乱しては駄目だろ?
大丈夫だ。
もう、二度とあの男には、俺が触れさせないから」
その言葉で、自覚してしまった。
「っ…怖かった…っ」
あんな強引に、男の人に触れられた事などなかった。
反撃ができたのは、単に条件反射で体が動いただけだ。
隙を見せた事が悔しい。
あの男に触れられた事が不快だ。
恐怖と怒り。
どちらも強い、その感情が、大きな渦となっていく。
「結華……ごめん…」
「っ謝って済むかッ。
何で来たのっ」
分かっている。
こんなのただの八つ当たりだ。
「情報部から、結華が一人でアイツに会いに行ったと聞いて……いても立ってもいられなかったんだ…本当にすまなかった…」
心配してくれたんだって分かってる。
佐紀はいつも私を気に掛けてくれるから。
「……しても良いか?」
「?何を?」
「俺がお前にキスをしても良いか?」
「?…何で…?」
振り向けば、真剣な顔の佐紀と真っ直ぐに目が合った。
「あんな奴の事を覚えていて欲しくない。
俺じゃ駄目か?」
何を言われているのか、徐々に理解する。
顔が火照っていくのが分かる。
っだって…っ何て事言うの!?
目を合わせてられない。
恥ずかしいっ…。
信じらんないっ。
こんなの…っ口直しみたいじゃないかっ…っっ!
「嫌か?」
嫌とかの問題じゃな〜いッ!!
そんな顔しないでッッ。
「っ〜…い…嫌じゃない……っけど…。
何か…こう言うのは…順序って言うか…。
恋人同士ならまだしも……」
「俺は、結華と恋人になりたいとずっと思ってた。
こんな状況で狡いかもしれないけど、結華が想いを向けて良いのは、ファリア様と律君と俺だけであるべきだ。
結華は?
俺の事嫌いか?
そんな風には思えないか?」
こんな人だっただろうか。
いつでも一歩引いて見守ってくれていた。
そんな想いに気付かなかった。
けれど、その目が。
言葉が、本気だと告げる。
だからこそ、この人ならと思ってしまう。
「…嫌じゃない…。
っ…消してっ…このままじゃ嫌だ…っ…んっ…ッ」
すぐに塞がれた唇は、優しく全てを奪う。
求められるまま、しだいに深くなっていく口付けに、呼吸が荒くなり、心臓が早鐘を打つ。
静かなビルに、鼓動が響くようだ。
ようやく離れたときには、佐紀にしがみつくように、砕けそうになる足を必死に自制し立っていた。