月陰伝(一)
刹那はいつでも真っ直ぐで、家族は勿論、月陰の誰にでも愛情を注ぐ事ができる奴だ。
それで思い出した。

「知っているか?
結が唯一、無条件で信じるのは、マリュー様と亡くなった父親の瑞樹だけなんだ」
「?……」
「瑞樹が、生前言っていた…」

あれはまだ、結が生まれる前。
実は俺と、結華の父親である瑞樹とは、友人だった。
瑞樹に付き合って、木陰で本を読んでいた時だ。
珍しく体調の良い瑞樹が、嬉しそうに話掛けてきた。

『人って、浅ましい生き物だよね。
欲深くって、自分の事しか本来考えられない。
でも妃さんはね、そんなのとは違って、とっても大きな愛情を持っているんだ』

船の上で出会ったと言った女性は、トラブルで船が沈んでいく最中、沢山の人を励まし、自分が危なくなっても、他人を気遣っていたと言う。

『本当に危ない状況になった時、他人を気に掛けられる人はすっごく少ないよね。
いくら平時に、道徳を説いていても、いざって時に対応できないのが普通だから。
やっぱり命は惜しいしね。
だから、あんな状況でも、必死で誰かを助けようとする人がいるなんて、びっくりしたよ』

ニコニコと人好きのする笑顔の絶えない人だった。
人嫌いの精霊使い。
天然なんだか、鈍いんだか、瑞樹はいつでものほほんとしていた。
ニコニコと笑うその顔のまま、平気で毒を吐くから、一瞬何を言われたのかわからない事が多いと言う問題はあったが…。

『気に入ったんですか?』

一族、身内から酷い扱いを受けて育った瑞樹は、人に対して嫌悪感を感じるらしい。
人の”浅ましさ”を、身をもって知ったからだろう。
だから、月陰の関係者以外の人の事を良く言うのを初めて聞いた。

『う〜ん?
気に入った……のかな?
おかしい?』
『…と言うか……外の人の名前を覚えるなんて…瑞樹には有り得ないと言うか……』

結華もそうだが、瑞樹も昔から、人の顔と名前を覚えようとしない。
自分と関係ない者は、何度会っても覚えないのだ。
記憶力はすごいのに、どうでもいいと思った事は、あっさりと除外する。
実に都合の良い頭をしている。

『…本当だぁ。
すごいよっ、ちょっと話をしただけなのにっ、不思議だなぁ。
泉ちゃんの力を使ったんだけど、全然驚かなくて…人型になった泉ちゃんと楽しそうに話してたんだ。
きっとここの人達と同種なんだろうね。
………彼女となら、上手くやっていけそうだなぁ…』

何やら考え、答えが出たようだ。

『ねぇ、佐紀。
僕、もっと彼女の事を知りたいんだ。
協力してくれるよね?』
『っえ???』

その時の瑞樹の顔は忘れられない。
イタズラを思い付いた子どもの様な無邪気な顔だったのだ。
そして、結婚するまでの数年間、さんざん振り回されたのは、言うまでもない…。


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