月陰伝(一)
これでは忌々しい”アイツ”と変わらない。

そう自覚したのは、ベッドに押さえつけた結華が、こちらを大きく見開いた目で凝視し、涙を流した時だった。
夢中で貪った唇の感触は柔らかく甘かった。
そんな事をするつもりはなかったから、してしまったと自覚した時、どうしたら良いのか分からなくなった。
結の傷付いた瞳を目にした時、己の中のどす黒い感情に気付いた。

「…すまない…」

そう言うだけで精一杯だった。
結華が『紫藤』と口にする度、あの夜の結華と口付けするアイツの姿が浮かんでくるのだ。
こんなにも自分が狭量だとは知らなかった。
結華を独占出来る立場にあるのに、まだ足りないと思っている。

「っ…すまない…っ」

謝って済むだろうか。
許してくれるだろうか。
嫌わないだろうか。
多くの不安が頭を巡る。
どんな時でもそばにいたい。
結華にとって唯一の存在になりたい。
もっともっと大切にしたい。

「……結……」

目を背け涙を服の袖で拭った結華を見て、もう駄目だと思った。
今まで築いてきた優しい関係が、脆く崩れ去るように感じた。
ゆっくりとベッドについていた手を外し、このまま部屋を出るべきだと思い至った時、結華が真っ直ぐこちらを見て、脇腹辺りの服をつかんでいる事に気が付いた。

「バカ…」
「っ……?」

呟かれた言葉に、思考が停止した。
ベッドに座り込んだ状態で、結華を見つめる。
ゆっくりと起き上がり、すぐそばで同じように座った結華は、突然手を伸ばしてきた。
叩かれても仕方ないと思っていたので、反射的に目をつむると、そっと両頬を包まれ、体重がかかったベッドが軋む音が響くと、唇に柔らかくて温かいものが触れた。
驚いて目を見開くと、結華がすっと離れていくところだった。

「???っ」

今のはなんだ?

「…結?…」
「そんな顔するくらいならあんな事しなければいいのに…。
でもまぁ、焼き餅妬いてくれたんでしょ?」

首をかしげながら、苦笑する結華は可愛い。

「…佐紀、聞こえてる?」
「っ…きっ聞いてるっ」

怒ってないのか?
嫌われてない?

「話さなかったのは、悪かったとは思ってる。
けど、佐紀が気にするような事じゃないよ?
それに、知ってると思うけど、私はあぁ言う人は苦手だし、二度目を許す程マヌケじゃない。
次に会ったら、必ず病院に送ってやるわっ。
棺桶に片足突っ込ませるくらい徹底的にねっ。
人には尚更、思い知らせてやらなきゃねっ。
だから、心配しないで。
……佐紀だけだよ……大好き…」
「ッ…〜!!」

暴走しそうだ。
また押し倒しても不思議じゃない。

「っ…結…もう一度…その…っ」
「はっきり言って。
じゃなきゃ床で寝てもらう」
「っもう一度口付けて良いかっ?!」
「ふふっ良いよ」

可愛いすぎるっ。
絶対に他の奴には見せるものかっ。
っこれが独占欲か?

「…結が人嫌いで良かった…」
「???」

人嫌いだった瑞樹に感謝だ。
今までにない幸福感を感じながら、そっと口付けるのだった。


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