天使な小悪魔 気付いたが最後の恋の罠
息せき切って教室へと辿り着くと、夕映えの陽射しが降り注ぐ中に、ひとりだけ―――
……橘小百合その人がいた。
足音に反応して彼女が振り返ると、和也は思わず足を止めた。
何を言うわけでもなく、見つめ合い、やがて橘は静かに視線を外した。
わけもわからず、ただ、狼狽、という二文字が頭に浮かんで、和也は席へと向かいながらただただ緊張を持て余す。
「い、居残り?」
「うん。委員会の記録の清書。井之口くんは部活、もう終わったの?」
背中を向けたまま問いかける橘に対し、和也は彼女の背中を見つめて答える。
「日誌取りに来ただけ。今から戻る」
「そう。頑張ってね」
肩越しの微笑みに励まされ、井之口は顔が赤くなるのがわかった。
表面上は平らかな温度を保ったまま、会話はあっけなく終わりを迎える。
もう? と胸の内で突っ込む。不満げに思うことに和也はうろたえ、大いに戸惑った。
挙げ句、頭では帰らなくてはと思うのに、裏腹に身体はその場を離れようとしない。
見つめる背中に動悸がする。
自身のことながら慣れぬ気持ちの変化について行かれず、和也はおろおろと立ち尽くすばかり。
ふと、期待、という言葉が脳裏をよぎり、馬鹿な、と和也は愕然とした。
(な、何、動揺してんだよ俺! しっかりしろよ)