夢の人
楽器屋手前での思考
「この辺りに楽器屋ありますよね?」と神崎がタクシードライバーに当然のように訊き、「もちろん。既に向かっている」とタクシードライバーが当然のように応える。
「おい神崎!君は帰らなくていいのか?奥さんだって心配するだろ」
間宮は腕時計を確認しながら言った。さらにいえば神崎が結婚してる、というのは憶測だ。彼の左手薬指に指輪が嵌められているからだ。
「彼女なら心配ない。もう眠っている」
その時の神崎はクールな表情というよりは、どこか遠くを見つめ何かに思いを馳せる表情だった。間宮は何か言おうとしたが、
「楽器屋といえば、ここしかない。ほら着いた」タクシードライバーが遮った。
「準備は整った。楽器屋を襲撃し、『楽譜』を奪取するとしよう」
「ほお、それは目的が明確でわかりやすい」 このタクシードライバーは神崎と妙に気が合うというか、調子がいいというか、間宮は不思議と困惑と疑念が入り交じる。
「楽譜なら買えばいいじゃないか。今はネットで手軽に買える時代だろ」
間宮は財布から夏目漱石を三枚取り出し、タクシードライバーに渡した。
夏目漱石を受け取る際、「手軽じゃ意味がないんだろ?」とタクシードライバーが独り言のように呟いた。
「その通り。簡便さは人を堕落させる。幾分か手の込んだことをして『楽譜』を奪取するべきだ」と神崎が断定した。
「俺の二分の一程度しか生きてねえ割には良い事いうじゃねえか若僧」とタクシードライバーはラジオを消し、唾を飲み込む音を響かせ、「お前、簡便さの末路を知ってるか?』と間宮に鋭い目を向けた。
末路?
その単語が出る度に思い起こすことは、死、だ。生からの死。今あるものが朽ち果てる末路。間宮が答えを提示する前に、
「思考の停止だ。人は考えることから退職する」とタクシードライバーは言い添えた。退職、という言い回しに間宮は苦笑をこらえる。なかなかウィットに飛んだドライバーだと、改めて彼は思う。
神崎はドアを開け、外に出た。それに続き間宮も外に出る。タクシーは走り去り、排気ガスの匂いがかろうじてタクシードライバーの存在を認識させた。
「さて、武器は持ったか?」
そう言う神崎の手には、百円ライターが握られていた。それとスーツの胸ポケットに万年筆。この状況が未だにうまく飲み込めない間宮は、武器を持たなければいけない状況なのではないか、と半ば察し鞄から買ったばかりのペットボトルの水を取り出す。
「これでいいか?」と間宮が真剣な表情で訊き、「喉が渇いたら飲め」と神崎が言った。
神崎は目の前にある楽器屋へ向かう。古びた外観で立て掛けられている看板は錆びれていた。
「廃業してる雰囲気がある」
間宮は悪びれず言い辺りを見回す。空は漆黒の闇に包まれ、楽器屋クールをも包んでいる。その光景は中世の魔女の舘を想起させ、ぶるっと全身が震えた。
「さて、問題の楽譜を入手するとしよう」神崎は正面扉に向かい把手を掴んだ。
「神崎!鍵は?」
「鍵は開いているはずだ。そういう運命に僕らは導かれている」
神崎は口角をきゅっと上げ、それと同時に扉の把手を捻った。
扉が開いた。
偶然と運命の差とは一体なんなのだろう、偶然と偶然の積み重ねが運命なのか、はたまた運命が偶然を導くのか、神崎との再開、そして楽器屋襲撃、そんなことを思いながら間宮は神崎の後に続いた。
「おい神崎!君は帰らなくていいのか?奥さんだって心配するだろ」
間宮は腕時計を確認しながら言った。さらにいえば神崎が結婚してる、というのは憶測だ。彼の左手薬指に指輪が嵌められているからだ。
「彼女なら心配ない。もう眠っている」
その時の神崎はクールな表情というよりは、どこか遠くを見つめ何かに思いを馳せる表情だった。間宮は何か言おうとしたが、
「楽器屋といえば、ここしかない。ほら着いた」タクシードライバーが遮った。
「準備は整った。楽器屋を襲撃し、『楽譜』を奪取するとしよう」
「ほお、それは目的が明確でわかりやすい」 このタクシードライバーは神崎と妙に気が合うというか、調子がいいというか、間宮は不思議と困惑と疑念が入り交じる。
「楽譜なら買えばいいじゃないか。今はネットで手軽に買える時代だろ」
間宮は財布から夏目漱石を三枚取り出し、タクシードライバーに渡した。
夏目漱石を受け取る際、「手軽じゃ意味がないんだろ?」とタクシードライバーが独り言のように呟いた。
「その通り。簡便さは人を堕落させる。幾分か手の込んだことをして『楽譜』を奪取するべきだ」と神崎が断定した。
「俺の二分の一程度しか生きてねえ割には良い事いうじゃねえか若僧」とタクシードライバーはラジオを消し、唾を飲み込む音を響かせ、「お前、簡便さの末路を知ってるか?』と間宮に鋭い目を向けた。
末路?
その単語が出る度に思い起こすことは、死、だ。生からの死。今あるものが朽ち果てる末路。間宮が答えを提示する前に、
「思考の停止だ。人は考えることから退職する」とタクシードライバーは言い添えた。退職、という言い回しに間宮は苦笑をこらえる。なかなかウィットに飛んだドライバーだと、改めて彼は思う。
神崎はドアを開け、外に出た。それに続き間宮も外に出る。タクシーは走り去り、排気ガスの匂いがかろうじてタクシードライバーの存在を認識させた。
「さて、武器は持ったか?」
そう言う神崎の手には、百円ライターが握られていた。それとスーツの胸ポケットに万年筆。この状況が未だにうまく飲み込めない間宮は、武器を持たなければいけない状況なのではないか、と半ば察し鞄から買ったばかりのペットボトルの水を取り出す。
「これでいいか?」と間宮が真剣な表情で訊き、「喉が渇いたら飲め」と神崎が言った。
神崎は目の前にある楽器屋へ向かう。古びた外観で立て掛けられている看板は錆びれていた。
「廃業してる雰囲気がある」
間宮は悪びれず言い辺りを見回す。空は漆黒の闇に包まれ、楽器屋クールをも包んでいる。その光景は中世の魔女の舘を想起させ、ぶるっと全身が震えた。
「さて、問題の楽譜を入手するとしよう」神崎は正面扉に向かい把手を掴んだ。
「神崎!鍵は?」
「鍵は開いているはずだ。そういう運命に僕らは導かれている」
神崎は口角をきゅっと上げ、それと同時に扉の把手を捻った。
扉が開いた。
偶然と運命の差とは一体なんなのだろう、偶然と偶然の積み重ねが運命なのか、はたまた運命が偶然を導くのか、神崎との再開、そして楽器屋襲撃、そんなことを思いながら間宮は神崎の後に続いた。