必見・夕暮れの陰陽部!【短編版】
堤防に出る頃には、地平線を夕日の緋色が染め、天を仰げば宵の空に少しだけ欠けた月が浮かんでいた。
おやっ、と吉郎が楽しげに声を上げる。
「小望月やで、晴也」
「望月は、満月ですよね?」
「ああ、道長の詩で有名なやつな。
知っとるか?あいつって権力使って好き勝手やったあとは、
結局糖尿病で死んだんやで」
「たしか、日本最古の糖尿病患者だったって、聞いたことがあります」
「呪詛とか怨霊とかにびびって晴明を味方につけとったけど、
晴明もわかとったんやと思うぞ。
人の不幸の上に立つばっかの奴は、いい死に方をせえへんってさ。
その通りやと思うで、俺も」
晴也はしばらく春の温い風にさらされて、そして大きくくしゃみをした。
花粉症でいつになく鈍った嗅覚は、長閑な香りに気付けない。
しかし吉郎の肩に引っ付いた桜の花弁が、春の風情を感じさせた。
「先輩は、人嫌いなんですか?」
晴也は思い切って聞いてみた。
吉郎は無言になったが、急に自転車を止めて晴也の方を振り向いた。
「まさか。俺は人は好きやで。
人がおらんと、俺の好物のアンソロジーを書いてくれる奴が、おらんくなるってことやろ」
「あの、好物って……。
あんたどういう生活してんすか」
すると、吉郎は立てた人差し指を唇に当て、片目をそばめてみせた。
「お母んには内緒やで?」
「あ、はい」
「実はな、修行の時間もこっそりアンソロジーとか読んどんねん。
でもこれ、ばれたらしばかれるで、秘密にしといてや」
そう言って吉郎は荒んだ美貌とは裏腹に、なんとも好印象を誘う無垢な笑みになった。