天使のチョーカー
 カジュマルの周りを囲むように、五百メートルほど草原が続き、さらにそれを囲うアラビカ種とロブスタ種のコーヒーの樹が群生する。それを更に囲うように熱帯植物特有のジャングルが広がっている。
コーヒーの木々の合間に、1階建ての木造校舎が弓なり状に建っていた。
タリ材でつくられた校舎は、縞のある木褐色で光により濃色となり光沢をともない重厚な趣がある。重厚な校舎に取り付けられた窓は、大きさの揃えていない丸窓だ。 重すぎる雰囲気の校舎に、丸窓はそれを和らげる効果を持っていた。

校舎と職員の宿舎の間には中庭があり、生徒たちの憩いの場所になっている。ドウシエの心材でできた明るい茶色のベンチや、それと同じ素材のテーブルがいくつか置かれて、そこで食事やレクレーションを行うこともある。

その一つにダージリンは足を止めると、素早くベンチに手を触れた。

「キメラ。来てください」

 キメラは言われるがまま歩み寄り、ベンチに腰掛けた。
腰をかがめた彼は、にわかに彼女の脹脛に手を沿えると持ち上げ、履物を脱がし始めた。皮で出来た褐色の紐をするりと解く。

「今日は私とオイルを取りに行きましょう。山道になりますからこの靴を履いてください」

 ダージリンが取り出したのは見たことのない履物だった。
足の甲の部分には細い布状の紐が編んであり、分厚い丈夫そうな黒い布と毛羽立ったカーキ色の皮らしきものを組み合わせて作られてある。
靴底はゴムのようなコルクのような柔らかい素材で出来ていた。

「これは、トレッキングブーツですよ。山道に最適な履物です」

 厚手の靴下とともに履かせ終わったダージリンは立ち上がり、キメラの履いていた履物をつかんだまま校舎のドアを開け中に入っていった。

「これは校舎に置いて行きましょう。・・・・・・ホートンシグネ様!出かけるのでしばらく講師をお願いします」

 校舎に姿を消した彼の声が高らかと響く。
ホートンシグネ様は香港駐在の男性で、漆黒の髪に暗い鳶色の目が印象的なアジア系の容貌だ。気難しいが面倒見はいい。
本来講師は彼一人だが、補助職員としてトゥクスの役職にある者が1名一ヶ月交代で手伝いに来ていた。
様々な雑務も仕事にあるダージリンにとって、人手は全然足りないのだ。

 ダージリンが校舎に引っ込んでいる間、キメラは新しい靴を何度も眺め、風でゆらめく草原の中をそっと跳ねたり、歩いたりしている。心なしかうれしそうで、彼女が動くたび木漏れ日に当たる山吹色の毛先がきらきらと輝いた。

 二人は、名も無き清流を覆うマングローブの森の脇を又はその間を掻い潜り、顕花植物、裸子植物、野性ランなどのさまざまな緑を育むジャングルを歩み、更にその先へと進む。
 キメラは額に汗を浮かべ、熱さと湿気に荒い息を吐いていた。
彼女の前には上半身を隠すくらい大きな弁柄色の壷を抱えたダージリンの姿が見える。
涼しい表情と裏腹に彼の額からキメラと同じように汗が流れていた。彼らの体は、熱帯特有の湿気のため汗で湿った服がじっとりと張り付いて歩くたびに不快であった。しかしここまでの疲労が先立ちあまり気にする余裕はない。

 この島の北北西にそびえる活火山は肥沃な粘土質の土壌をもたらし、さまざまな鉱物資源の宝庫となっていた。
その中にオイルの原油も含まれており、それをダージリンが精製し、主に燃料として使用できるようにしていた。用途によっては様々な種類の材料を取りに行かなければならない。
 いつもなら回り道をして、溶岩が流れ出る北北東の海岸近くに原油を採りに行くのだが今日は違った。まるでこの活火山に挑むかのように真っ直ぐ登っていくのである。

 気が付けばなだらかな丘稜地を抜け、剥き出しになった大地には武骨な玄武岩や火山性の岩が足元に広がりはじめていた。高山植物が儚げに岩間を縫って生息している。
視線を上げると縄目状溶岩原が延々と続いている。その隙間から地中から這い出た黄金色に輝く赤く爛れた溶岩が顔を覗かせていた。
暑いのはこの島の気候だけではなくこの場所にも原因はあったのだ。キメラは思わず顔をしかめ額と首筋の汗を手で拭った。

 ダージリンは一足先に高台に上がると、古びた大きな壷を傍らに置き、腰に巻きつけていた紐を取り出した。紐の先には金属製の棒がついており彼はそれを無作為に付き立てた。
手早く紐の先を壷の中に投げ入れる。
程なくその紐の中の空洞を伝って壷に原油が流し込まれた。
 ダージリンに遅れをとっていたキメラは高台の下から彼を見ていた。

不意に彼の手が差し伸べられる。
 その手は家事から大工仕事、狩りや鍛冶仕事をこなしているとは思えないほど指先は長く滑らかで驚くほど白かった。
その手を取りキメラは高台へと引き上げられ彼と向かい合った。
キメラの頭がちょうどダージリンの肩辺りにある。
岩や土を焼く焦げ臭い薫りの熱い風が二人を撫でた。

「お疲れ様です。随分遠回りしてきましたが、その価値はあると思いますよ」

 肩に添えられた手に力が入り、考える間もなく体の向きを百八十度回転させられた。

「きゃっ!」

 短い悲鳴と共に彼女は息を呑んだ。
足元に広がる不毛の岩地から広いなだらかな丘陵地、それを囲うように生い茂る熱帯雨林。その先にはマングローブの生息する湿地帯が南にある小さな入り江に迫り、その砂浜は真珠色の輝きを放っている。浅緑色の海が小さな入り江を攻め、その先にある珊瑚礁に近づくにつれ海の色は瑠璃色へと姿を変える。

 そう・・・・・ここはこの島を三百六十度近く見渡せる展望台だったのだ。
 誰もがこの風景を見て興奮しない訳は無い。

ここからでもあの巨大なカジュマルの木は人目で見つけられる。ジャングルの中に巨大な樹木を囲うように草原が続きコーヒーの木の群れが見える。
その下に学校がある筈だがコーヒーの木の枝に覆われて建物は確認できなかった。
ジャングルの一角からカクー鳥の群れが空に溶け込むかのように飛び立った。
二人は目が醒めるような光景に時間を忘れるほど長い間魅入っていた。
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