◇桜ものがたり◇
「もしかして、桜河の・・・・・・」
突然、白髪の紳士が声をかけてきた。
「はい、桜河祐雫と申します」
名前を呼ばれて、祐雫は、椅子から立ち上がり礼儀正しく会釈を返した。
「母上さまは、祐里さんですか」
紳士は、驚愕の表情で、祐雫に問いかける。
「はい。おじさまは、母をご存知でございますか」
祐雫は、はじめて会う紳士を見つめて、
(どなたなのかしら)
と、頭の中で考える。
「ずっと以前に、父上さまと母上さまにお会いしたことがあります。
祐雫さんといわれたね、母上さまにそっくりですね」
榛文彌は、かつて恋した祐里の子と巡り合った。
こころの枯れ木が一斉に芽吹いたように感じられ、心臓が高鳴る。
目の前に立っている祐雫は、
はじめて祐里を見初めた年頃くらいだろうか。
口元の愛らしさが祐里にそっくりだった。
「さようでございますか。
どちらかと申しますと、祐雫は、父に似ていると言われます」
祐雫は、紳士的な物言いの文彌に、こころを許して、
気兼ねなく受け答えをする。
「そう、父上さまに」
文彌は、祐雫の中に光祐さまの存在を感じた。
真っ直ぐに瞳を見つめて物怖じなく話す姿は、
生まれながらに桜河の血筋をひく光祐さまそのものだった。
「おじさまは、お一人でございますか」
祐雫は、周りを見回した。
「うむ、一人だよ」
文彌は、小鳥が囀るように話す祐雫の愛らしい口元を見つめて、
しあわせな気分に浸っていた。
文彌は、十数年近く自ら閉ざしていた感情の扉の鍵を開錠した。
「父上さまが戻っていらしたわ。
おじさま、ここでお待ちくださいませね。
父上さまと母上さまを連れて参ります」
祐雫は、光祐さまの姿を見つけ、駆け寄って行く。
文彌は、祐雫の後姿を追いながら、
光祐さまと祐里に気付いて、ロビーの柱の陰に身を隠した。