◇桜ものがたり◇
 
 それから、数日後の暖かな午後。


 執事の遠野が副社長室の扉を叩いた。

「失礼いたします。

 お約束をなされておりませんのでお断り申し上げたのですが、

 銀行の方が是非とも、坊ちゃま・・・・・・失礼いたしました、

 副社長にお目にかかりたいとのことでございますが、

 どういたしましょうか」

 遠野は、光祐さまを幼少の頃から「坊ちゃま」と呼び親しんで来たので、

 口を滑らせて赤面し、少々困った顔を光祐さまに向けた。


「銀行の方ならば、経理部か社長へ伝えておくれ」

 光祐さまは、企画書から遠野に視線を移す。


 遠野は、社長の右腕の役割を担い、

 光祐さまは、学生時代から別邸で世話になり、信頼をおいていた。


「社長は、商工会へ外出中でございます。

 それに取引先の銀行の方ではございません。

 是非とも副社長にと申されております」

 遠野は、遠慮がちに言葉を詰まらせた。


「営業で来られたのであれば、尚更経理部か社長でなければ・・・・・・

 何処の銀行なの」

 光祐さまは、腕時計に目をやり、

 企画会議の時間が迫っているのを確認する。


「予定が詰まっていると何度もお断り申し上げたのですが、

 榛銀行本店営業部長の榛文彌様でございます」

 遠野は、十数年前の身辺調査を思い出して恐縮しながら光祐さまへ

 名刺を差し出す。


「榛……分かった、ここに通しておくれ。
 
 それから、企画部には、少し遅れると伝えておくれ」

 光祐さまは、複雑な気分で、名刺に目を走らせながら、

 祐里の見合い相手として、

 突然現れた日の傲慢な態度を思い出していた。

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