◇桜ものがたり◇
柾彦さまの恋
萌のお伴の帰り道、偶然通りかかった柾彦から、
車で、家へと送ってもらった笙子(しょうこ)は、
桐生屋の店先に座っていても、いつも柾彦のことを考えていた。
柾彦の爽やかな笑顔が目に浮かんで離れなかった。
「笙子、先程から何度も呼んでいるのに返事をしないけれど、
どうしたのかね」
桐生弦右衛門(げんえもん)が、笙子の前に立った。
「父上さま、申し訳ございません。何かご用でございますか」
笙子は、我に帰って弦右衛門を正視する。
「先程から、その反物にばかり触れているけれど、気に入ったのかね」
弦右衛門は、笙子がここ一週間ばかり、接客にも身が入らず、
夢うつつの表情をしているのが気になっていた。
大人しい性格の笙子ではあったが着物の見立てには定評があった。
店は、長男の颯一朗(そういちろう)が継ぐ事になっているが、
着物好きの笙子には、奉公人の倉三郎を婿に取って、
暖簾を分けてもいいと常々考えていた。
「申し訳ございません、考え事をしておりました」
笙子は、弦右衛門の厳しい表情に恐縮して、頭を下げて謝る。
「お嬢さま、そちらの反物は、私が棚に戻しましょう」
すぐに見兼ねた倉三郎が助け舟を出してきた。
「お願いします」
笙子は、倉三郎へ反物を差し出す。
「考え事があるのならば、今すぐ奥に下がりなさい。
お客さまに失礼になるからね」
弦右衛門は、厳しく笙子を諭した。
「はい、父上さま」
笙子は、涙ぐんで奥へと下がる。