◇桜ものがたり◇

「突然来てしまったので、家の方が心配されるだろうから、

 一度、家まで送りましょう」

 柾彦は、桐生屋の方角へ車を進めていた。


「はい。でも……」

 笙子は、家を気にしながらも、このまま柾彦と過ごしたいと思っていた。

 一度、家へ戻ると父に反対されるような気がしていた。


「でも、どうしたの」

 柾彦は、先程、自分に熱い想いをぶつけて来た

 笙子の普段の大人しさに再び触れる。


「先日、お店に出ている時に柾彦さまのことを考えておりましたら、

 父から『こころ、ここにあらず』と叱られましたので……」

 笙子は、再び哀しい顔をして俯いた。


 柾彦は、笙子を冬山に返り咲いた菫の花のように感じていた。

 いじらしく可愛らしい笙子を小さな菫に例えて、寒風から両手で

 包み込むように守りたいと切に感じる。


 柾彦は、バックミラー越しに、

 後部座席で、しおらしく座っている笙子を見つめる。


「それならば、父上さまにきちんとご挨拶をするよ。

 その前に笙子さんの気持ちを聞くべきだよね」

 柾彦は、車を路肩に停めて、後ろを振り向くと、

 真剣な表情で笙子を見つめた。


「笙子さん、ぼくとお付き合いをしてください」

 柾彦は、笙子とともに歩むことを決意する。


「はい。柾彦さま。よろしくお願い申し上げます」

 笙子は、胸の中で、しあわせの花が、

一斉に開花するのを感じながら返答した。


 柾彦は、にっこり笑って、前へ向き直ると、車を発進させる。


 昼過ぎには売り切れる桜屋の桜餅を結子から頼まれて、

 偶然にも助手席に積んでいたことを幸運に思う。


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