◇桜ものがたり◇
柾彦は、店先の邪魔にならない場所に車を停めると、
後部座席の扉を開けて、笙子を車から降ろした。
笙子は、紫紺の暖簾を開けて、柾彦を店に招じ入れた。
「いらっしゃいませ。笙子、お帰り」
「いらっしゃいませ。お嬢さま、お帰りなさいませ」
颯一朗と店の奉公人が一斉に柾彦と笙子を迎えた。
「ただいま帰りました。
お兄さま、こちらは、鶴久柾彦さまでございます。
父上さまはどちらでございますか」
笙子は、まっすぐに颯一朗をみつめて、柾彦を紹介した。
「はじめまして、鶴久柾彦です」
柾彦は、颯一朗に挨拶をして、ゆっくりと店内を見渡した。
「いらっしゃいませ。笙子の兄の颯一朗でございます。
笙子、父上と母上は、奥でお昼だよ。お客さまを座敷にご案内しなさい」
颯一朗は、大人しい笙子のこのところの変わり様に驚きを隠せなかった。
店の奉公人でさえ、笙子が男性を連れて来たことが信じられなかった。
「柾彦さま、こちらへどうぞ。ご案内申し上げます」
笙子は、柾彦を座敷へと案内した。
「少々お待ちくださいませ。父母を呼んで参ります」
笙子は、柾彦を上座に案内すると、
熱い決意を胸に抱いて奥座敷に向かった。
柾彦は、姿勢を正すと、こころを落ち着かせようと庭の枯山水を眺めた。
「父上さま、母上さま、ただいま帰りました。
会っていただきたいお客さまをお連れいたしました」
笙子は、奥座敷に入ると正座をして、
しっかりと弦右衛門と紗和の瞳をみつめた。
「笙子、お帰り。もしや、鶴久病院の先生をお連れしたのかね」
弦右衛門は、突然のことで驚きを隠せなかった。
(大人しい娘のどこに結婚相手を自分で決める大胆さが
隠れていたのだろう)と思う。
「まぁ、それは大変でございます。どういたしましょう」
滅多な事では驚かない紗和も、左右をみまわしてあたふたとしていた。
「私は、お茶をお持ちしますので、
父上さま、母上さま、お先にお越しくださいませ」
笙子は、立ち上がって、台所へ向かった。
弦右衛門と紗和は、顔を見合わせると、手を取り合って座敷へ向かう。
「失礼いたします」
弦右衛門と紗和は、硬い表情で柾彦の前に座った。