◇桜ものがたり◇

 春の朧月夜。


 祐里は、台所の後片付けの手伝いを終えてから、

 紅茶を届けに光祐さまの部屋の扉を叩いた。


「光祐さま、お茶をお持ちいたしました」


 部屋の丸テーブルに紅茶を置いて、

 バルコニーの光祐さまへ視線を向ける。


 掃除が行き届いている光祐さまの部屋は、

 光祐さまの不在を感じさせない。

 祐里は、淋しくなるとこの部屋に入って、光祐さまを想った。


「祐里、来てごらん。月が綺麗だよ」

 バルコニーから光祐さまの声。


 光祐さまの部屋のすぐ横には、蕾を膨らませた樹齢三百年を超える

 優美な桜の樹が枝を広げている。


 その枝の間に朧な月がかかっていた。


 月の薄明かりの中で、

 木立が織り成す陰影が、静かな湖のように青く広がっている。


 時折明るさを増す月の光が、池の水面に輝く星空を展開していた。

< 19 / 284 >

この作品をシェア

pagetop