◇桜ものがたり◇
春の朧月夜。
祐里は、台所の後片付けの手伝いを終えてから、
紅茶を届けに光祐さまの部屋の扉を叩いた。
「光祐さま、お茶をお持ちいたしました」
部屋の丸テーブルに紅茶を置いて、
バルコニーの光祐さまへ視線を向ける。
掃除が行き届いている光祐さまの部屋は、
光祐さまの不在を感じさせない。
祐里は、淋しくなるとこの部屋に入って、光祐さまを想った。
「祐里、来てごらん。月が綺麗だよ」
バルコニーから光祐さまの声。
光祐さまの部屋のすぐ横には、蕾を膨らませた樹齢三百年を超える
優美な桜の樹が枝を広げている。
その枝の間に朧な月がかかっていた。
月の薄明かりの中で、
木立が織り成す陰影が、静かな湖のように青く広がっている。
時折明るさを増す月の光が、池の水面に輝く星空を展開していた。