◇桜ものがたり◇
「桜……神の森に相応しくない名前だな」
冬樹は、冷たい視線を祐里に向ける。
冬樹は、幼い時に母を亡くし、
春樹が、毎日神の森の外れで会っていた小夜を、
木陰から見るにつけ、母親のように慕っていた。
その甘い想いがいつしか初恋に変わっていた。
七つ年上の春樹は、万事が冬樹よりも先行し、
冬樹は、後を追いかける事しかできなかった。
自己の不甲斐無さと恋い慕う小夜を連れて姿を消した
春樹の身勝手さへの怒りがふつふつと蘇る。
春樹が行方不明になり、長い歳月が流れた。
森の長たちが『冬樹を後継者に』と
声を揃えて進言するにも拘わらず、
未だに八千代は、春樹を忘れられないどころか、
娘の祐里を捜し出して戻って来た。