◇桜ものがたり◇
 
 祐里と別れて森の奥へ分け入りながら、冬樹の胸中は波立っていた。

 死んだものと思って忘れていた春樹と小夜が、祐里という娘となって、

 突然目前に姿を現した。


 神の守は、男子と暗黙のうちに決められていた筈が、

 神の森が一目で祐里を認めていた。


 今朝は、神の森が最近では珍しく穏やかな表情を見せていた。


 朝の見まわりで、樹々が青々と潤い、朝露に輝く様を見るのは、

 ここ何年もないことだった。


 森からは久しぶりに豊潤な香りが漂い、

 朝靄に乗って森全体が虹色に輝いて、

 神の歌声が澄み切った空気を揮わせて森全体を蔽っていた。


 冬樹は、神の森の声を聞くまでに十年かかった。


 それなのに突然現れた祐里は、その朝から神と対話し、

 森の表情までも落ち着かせていた。


 神の森に意見して、冬樹を気遣った祐里の優しい手の温もりが、

 未だ残っている。


(何故にあの娘にそのような力があるのだろう)


 いくら考えても、冬樹には皆目見当が付かなかった。

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