◇桜ものがたり◇
光祐は、椅子に座ったまま、後ろへ伸びをして、掛け時計を見上げる。
「8時半過ぎか、そろそろ帰らなくては」
光祐は、机の引き出しに鍵をかけて、立ちあがる
その時、足音が響いた。
「副社長、お疲れさまでございます。紅茶をお入れしました」
副社長室の扉を秘書の桑津美和子(くわづみわこ)が叩く。
「桑津くん、まだ、残っていたの」
光祐は、先程、最後まで残ってくれていた執事の遠野を帰して、
自分一人だと思っていたので、驚きの表情を美和子に向ける。
「毎日、副社長が大変そうですので、退社したのですが、
何かお手伝いできましたらと、戻ってきました」
美和子は、一面に牡丹の花が咲いたような雰囲気を振り撒いて、
愛くるしい笑顔を光祐へに向ける。
「そうだったの。桑津くん、ありがとう。
今から帰るところだったのだけれど、紅茶をいただいてからにしよう」
美和子は、紅茶茶碗を机に置きながら、
盆を傾けて、故意に手を滑らせる。
床に落ちた紅茶茶碗は、音を立てて割れた。
美和子の計略通り、
牡丹色のスカートからは、紅茶の雫が滴り落ちた。