◇桜ものがたり◇
瞬く間に十日間が過ぎて、祐里の誕生日の四月三日になり、
光祐さまが休暇を終えて、都に戻る日が訪れた。
朝食の後、光祐さまは、時間を惜しむかのように、
祐里を連れて桜池に散歩に出る。
桜河のお屋敷の奥地には、豊かな水を湛えた桜池が広がり、
桜川地方の水源となっていた。
桜の木立にぐるりと囲まれた桜池は、立ちこめた霧が晴れるに連れて、
後方に裾野を広げる雄大な桜山の新緑の稜線と青い空を映し出し、
荘厳な美しい水面の風情を誇っていた。
この桜池から桜山までの広大で肥沃な土地は、桜河家の所有地である。
「静かでございますね」
祐里は、陽射しに輝く水面を見つめ、光祐さまと並んで池の辺に佇む。
湖の穏やかな漣がきらきらと一列になって、生きているように移ろい、
何処からともなく鶯の音色が聴こえた。
自然に抱(いだ)かれて、光祐さまと祐里の二人だけの時間が、
ゆったりと流れていた。
柔らかなそよ風が二人の心をくすぐって、
池の水面のように麗らかな心地に包まれる。
「桜池が桜の樹を映してしあわせそうに見えるだろう。
ぼくのこころも祐里がいるだけでしあわせだもの」
光祐さまは、桜色に頬を染める祐里を笑顔で見つめる。
「そのように想ってくださいまして、祐里は、しあわせでございます」
光祐さまと祐里の仲睦まじい様子に、桜の木立の膨らんだ蕾たちが、
くすぐられるように微笑んで、咲き始めていた。