◇桜ものがたり◇
「柾彦さんが見惚れていたから、しばらくそっとしておいたの。
恋愛に堅物の柾彦さんでも恋する年頃なのね。
あれほどのお嬢さまなら、恋をしないほうが無理でしょうけれど。
伯母さまに知られたら大騒ぎになってよ。お気をつけあそばせ」
結子は、意味ありげな笑みを浮かべ、
柾彦は、秘め事を見透かされた気分に陥る。
「そのようなことではありません。
図書館で棚から本を取って差し上げただけですよ」
柾彦は、慌てて、結子に話さずともよい出会いの場面を口にする。
口に出して、更に狼狽する。
「さようでございますか。
鶴久病院も家柄としては申し分ありませんけれど、
桜河のお嬢さまをお迎えするには恐れ多くて、自信がございませんわ。
でも、桜河さまとお近づきになれたら、
病院の格も上がり大きくできますわね。
我が家には、何時連れていらっしゃるの」
結子は、柾彦の狼狽を楽しんで、揶揄する。
「だから、そのようなことではありません。
先日の昼食会で、少しお話しただけです」
柾彦は、否定するつもりが口を滑らせて、
祐里との縁(えにし)を更に語って赤面する。
「まぁ、いつもは昼食会なんて時間の無駄だとおっしゃって、
出たことがなかったのに……
初恋は人を変えるものなのね。
あのように綺麗な方に看病していただけたら、
病気なんて、すぐに治りそう。
鶴久病院は、名病院と評判になりますわ」
「母上、ぼくは、今でも堅物ですよ。
さぁ、そのような絵空事よりも、伯母さまがあちらでお呼びですよ」
柾彦は、もう一度、祐里の姿を見つめ、
結子の口を塞ぐと、急き立てるようにして、伯母の側に歩いていった。
結子は、柾彦の微笑ましい恋心を内心喜んでいた。