◇桜ものがたり◇


 梅雨の晴れ間に開催された真珠晩餐会の夜。

 月が張り出した薄雲に隠れて、朧に滲む薄暗い夜の闇に加えて、

 梅雨特有の生暖かい湿気を帯びた大気が辺りを取り巻いていた。


 祐里は、奥さまのお伴で参会する。

 祐里の白絹のワンピースの首元には、桜色の真珠の首飾りが、

 可憐に輝いていた。

 この首飾りは、代々桜河家の女主人に受け継がれる家宝の品で、

 今宵の晩餐会の趣旨である【真珠】を身に付けるために、

 奥さまが祐里へ貸し与えたものだった。

 桜色の真珠の首飾りは、祐里の白い肌に反射して、

 華やいだ美しさをもたらせていた。


 祐里は、奥さまの横で参会の奥様方に挨拶をしてまわり、

 しばし、会場の熱気から、逃れて風に当たるためにテラスへ出る。


 大広間では、ちょうど管弦楽の演奏が始まり、

 会場の視線は管弦楽の演奏へと集まっていた。


「やっと再会できたね。この日が来るのを心待ちにしていたよ」

榛文彌は、祐里が入場した時から、見失わないように、

 物陰から追いかけて、祐里が一人になるのを待ち構えていた。


 葡萄酒の杯を片手に大蛇のような視線で見据え、

 祐里の前に立ちはだかる。


「少し見ない間に一段と綺麗になったね。

 恋文の返事が届かないけれど、今度会う時には、

 全てを僕のものにする約束を覚えているよね」


 祐里は、平静を装って、文彌を無視して、脇をすり抜けようとする。

 
 不意に文彌から腕を掴まれ、

 首を横に振りながらテラスの奥へ奥へと後退る。

 
 文彌は、不敵な笑みを浮かべ葡萄酒の杯を傍らの円卓の上に置くと、

 祐里の細い両肩を強引に掴んで回り込み、

 人目の届かないテラスの大きな柱の後ろに押しつける。


 そして、祐里のワンピースの襟元に手を滑らせて胸を鷲掴みにし、

 文彌の唇は、祐里の柔らかな首筋を伝う。

 祐里は、大蛇が首筋をくねりながら這い上がってくる感触を覚えた。


「君は、遂に僕のものだ」

 文彌は、熱い吐息で、祐里の耳元で囁く。


 人々の集う晩餐会で、文彌と出遭い、まして二人きりになるなどと、

 思いもよらない祐里は、大蛇に睨まれた獲物のように

 (光祐さま……)と

こころの中で助けを求めて、諤々(がくがく)と震えていた。

 文彌の熱い吐息に意識が遠退きそうになる。


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