◇桜ものがたり◇

「姫っ」

 寸前のところで、柾彦の鋭い声が割って入る。


「柾彦さま」

 驚いて腕の力を抜いた文彌の隙をついて、祐里は、我に返って、

 柾彦へ駆け寄り、その背中に隠れる。


 柾彦の逞しい背中は、頼もしく感じられた。


「誰、このひと」

 柾彦は、文彌の顔を睨み付ける。


「お前こそ、誰なんだ」

 文彌は、激情から円卓の上の葡萄酒の杯を掴むと柾彦に投げつけた。

 柾彦は、祐里を庇いながら上手に葡萄酒の杯をかわす。

 紅色の滴(しずく)が弧を描くと共に、後方で、硝子の砕け散る音が

 管弦楽の演奏と共鳴する。


「ぼくは、姫の守人(もりびと)です。

 このような公の場で、礼儀知らずの野獣から姫を守るのがぼくの務め。
  
 
 姫、もう大丈夫です」

 柾彦は、怯(ひる)むことなく文彌の前に立ちはだかる。


 背中に寄り添う祐里の柔らかな肌を感じ、勇気が漲(みなぎ)っていく。


「へぇー、光祐坊ちゃんだけじゃなく、他にも男がいたとはね。

 おとなしい顔をして男を手玉に取るのが上手だな。

 そいつにも、もう抱かれたのか。

 そうやって、桜河の旦那さんにも取り入ったのだろう」

 文彌は、待ち焦がれていた祐里との愛撫の時間を柾彦に阻まれ、

 祐里へ罵声を浴びせる。

 祐里を手中にしながら、何時も、あと一歩のところで、

 邪魔が入ることが悔しくてならない。

< 84 / 284 >

この作品をシェア

pagetop