◇桜ものがたり◇
「姫っ」
寸前のところで、柾彦の鋭い声が割って入る。
「柾彦さま」
驚いて腕の力を抜いた文彌の隙をついて、祐里は、我に返って、
柾彦へ駆け寄り、その背中に隠れる。
柾彦の逞しい背中は、頼もしく感じられた。
「誰、このひと」
柾彦は、文彌の顔を睨み付ける。
「お前こそ、誰なんだ」
文彌は、激情から円卓の上の葡萄酒の杯を掴むと柾彦に投げつけた。
柾彦は、祐里を庇いながら上手に葡萄酒の杯をかわす。
紅色の滴(しずく)が弧を描くと共に、後方で、硝子の砕け散る音が
管弦楽の演奏と共鳴する。
「ぼくは、姫の守人(もりびと)です。
このような公の場で、礼儀知らずの野獣から姫を守るのがぼくの務め。
姫、もう大丈夫です」
柾彦は、怯(ひる)むことなく文彌の前に立ちはだかる。
背中に寄り添う祐里の柔らかな肌を感じ、勇気が漲(みなぎ)っていく。
「へぇー、光祐坊ちゃんだけじゃなく、他にも男がいたとはね。
おとなしい顔をして男を手玉に取るのが上手だな。
そいつにも、もう抱かれたのか。
そうやって、桜河の旦那さんにも取り入ったのだろう」
文彌は、待ち焦がれていた祐里との愛撫の時間を柾彦に阻まれ、
祐里へ罵声を浴びせる。
祐里を手中にしながら、何時も、あと一歩のところで、
邪魔が入ることが悔しくてならない。