◇桜ものがたり◇
帰りの車中でも、何事もなかったかのように、
祐里は、いつもの笑顔で、奥さまに話しかけた。
奥さまは、祐里がいじらしくて、思わず抱きしめていた。
祐里は、奥さまの優しい胸の香りに包まれて安堵する。
寝る前に湯に浸かった祐里は、文彌から触れられた首筋を
石鹸で念入りに洗った。
ふと、気が付くと湯気よけの天窓の隙間から、
深緑の桜の葉がひとひら舞い降りて、祐里の首筋へ、はらりと留まる。
不思議なことに、念入りに洗った後の赤みが消え、
祐里は、清められたようにこころが安らぐのを感じた。
(桜さん、ありがとうございます)
祐里は、両手で桜の葉を包み込んで手を合わせる。
庭の桜の樹は、緑色の葉をさやさやと風に靡かせて、
祐里の感謝の声に耳を傾けていた。
その夜、奥さまは、文彌のことを旦那さまに報告した。
旦那さまは(祐里は、十六になってから一段と匂いやかになった。
悪い虫が付かないように気を付けねばならぬ)と心配する。
翌日、旦那さまは、弁護士を通じて榛家へ抗議した。
榛家では、面目を保つ為に文彌を地方の支店へと転属させた。