ポケットに婚約指輪

 満員電車に揺られて、独り暮らしのアパートに帰り着く。

夕飯を作る気もしない。
何にもしたくない。

のろのろと着替えて、冷凍してあるご飯を解凍してお茶漬けにする。

こんな食生活じゃ駄目だって思うけど、だからと言って今から買い物に行く気にはなれない。


投げ出したかばんから顔を覗かせているのは、舞波さんのお土産。

ゆっくり開くと、そこにはデザイナーズブランドのおしゃれな腕時計が入っていた。

結構高価なものだろう。
これを舞波さんは私の為に選んだの?

社会人として腕時計は毎日身に着ける。

そういう点ではアクセサリーよりも重要だ。
それでいて、アクセサリーよりも目立たない。

これなら江里子にばれないと思って?

そんな風にかんぐってしまうのは私の心が捻じ曲がっているから?


 華奢なつくりのそれは、ブレスレットのようなデザインでつけるととても華やいだ。

これをどんな気持ちで選んだの。
江里子に見つからないようにどうやって買ったの。
それだけ私のこと思い出してくれてたの?


「……っ」


昼間の感触がよみがえって、体が疼く。

彼との記憶が芋づる式に蘇る。

早く別のもっと素敵な記憶で上書きしたいのに、それを上回るものが私にはまだ無い。

腕時計をはずして、テーブルに置いた。

そして記憶を吹っ切るように私はシャワーを浴びに行った。


< 105 / 258 >

この作品をシェア

pagetop