ポケットに婚約指輪

キィ、扉の開くようなそんな音が聞こえた気がして、私は彼の体を押す。
だけど、舞波さんは全く気づかないようで力づくで私を抑え込んでいた。

舌で押し返すようにして彼の唇から逃れ、荒い呼吸で告げる。


「……っつ、今、はぁ、誰か」

「え?」


舞波さんは慌てて扉の方に向かう。視界が広がったので私も確認するけど、今は誰もいない。


「誰もいないぞ。菫」

「でも、扉が開いたような音が……」

「一瞬なら俺たちが何をしてたかなんて分からないよ。今、お互い資料を探して近くに居た、……それだけだ」

「それだけで、あなたはキスをするんですか」

「もちろん建前だよ。また今度電話する」


襟元を軽く直して、舞波さんは出て行く。

私はそのまま、冷たい床に座り込んだ。
指で唇をなぞる。先ほどまでの感覚が脳裏に蘇って全身を熱くする。


忘れたい。
そう思ってた。

自分をいいように扱う、あんな男のことは忘れたいと。

なのにこんな風に強引に迫られるだけで私は揺らいでしまうんだ。

目じりに溜まった涙を、化粧を崩さないようにハンカチでそっと押さえて拭く。


忘れたいのに、……忘れられない。



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