ポケットに婚約指輪
「菫! ちょっと里中くん、菫に何するのよ」
躍起となって刈谷先輩が追いかけてくる。
口では私を心配しているようだが、おそらく彼女を取り巻いている感情は私に対する怒りだろう。
私を壁際に寄せて、里中さんは威圧げに上から刈谷先輩を見下ろした。
「今日は刈谷さんじゃなくて塚本さんに用事があるんだけど?」
「営業一課の仕事は私の担当よ?」
「仕事じゃない話なんだ」
「今は仕事中よ。それ以外の話だったら定時後にするべきだわ」
食い下がる刈谷先輩に、里中さんが一度溜息を漏らす。
「……行っていいよ」
大きな指が、小さく私の背中をコツンとつついた。
二人の言い合いのせいで、通り過ぎる人までがコチラをみていたから、私は救われた思いで頷いて化粧室へと逃げ込んだ。
その後の二人の会話は知らない。
だけど、
「君は周りが見えてないの?」
背中で聞いた里中さんの声は、こっちの背筋まで凍えそうなほど冷たい声だった。