月夜の翡翠と貴方【番外集】
*すべてを奪ったあの人
『マリアがいちばん、愛した人へ』
*
「ジェイド」
ルトが、私を見てそう呼ぶ。
ディアフィーネの村を出てから二日目の夜、立ち寄った街の宿をとった。
寝台に座って、彼が手を広げる。
優しく、目を細めて。
「おいで」
…そう、言うから。
私は苦しくなる心を抑えて、その愛しい腕のなかへ、身を預けた。
……『おいで』と言われて、目を細められる。
その光景を見て、ルトではない誰かを思い出してしまう私は、嫌な女だろうか。
誰よりも優しく、そして最も私を蔑んでいた人。
私の全てを奪っていった、忘れるはずもない、あの人。
…最近になって強く、思い出すようになった。
狂いそうなほど可笑しな、彼との日々を。
*
「マリア様、少しでもお食べにならないと、お身体に悪いです」
ナタナ・フレドラ。
目の前で心配そうな顔をする、この召使いの主人の名だ。
「……いらない。食べたくない」
上質な布の敷かれた寝台の上に、ぐったりと座り込む。
わたしは虚ろな目を動かして、そう返事をした。