副社長は溺愛御曹司
「開発に行かせてくださって、ありがとうございます」
「離れたほうが、手を出しやすいって、実は下心かもよ」
「それこそ、ありがとうございます」
にやりとするヤマトさんに、負けじと言ってやると、彼が声を上げて笑う。
嘘だよ、と優しい微笑みが言った。
「ほんとに、志望したところで、活躍してほしかったんだよ」
「頑張ります」
目が合うと、少しだけさみしそうに、笑う。
その目が、周囲を気にするように、一瞬さまよって。
半個室の、静かな店内で。
細いテーブルに、お互い身を乗り出すように。
今度こそ、本当に、お別れの。
ごく短い、キスをした。
「辞めた!?」
ええ、と木戸さんが険しい声を出す。
定時になり、送別会までの間、一度濱中さんが仕事を離れた後で、彼が秘書室に飛びこんできたのだった。
私も同席するようにとヤマトさんの執務室に引っぱっていかれ、そこで聞いたのは、信じられないような報告だった。
「さきほど、辞表を提出しに来ました。来週からの出社は見あわせたいと」
「なんでまた、急に」
「本人いわく、業界自体に共感できないとのことです」
やっぱり、システム系は、彼女には地味だったんだろうか。
役員机の横に立った私は、呆然とそれを聞いていた。
「あの、では、私の異動は…」
「申し訳ないけど、中止だ。ちなみに後任の求人、どうします、継続しますか、ヤマトさん?」
背もたれに身体を預けて、同じく呆然と聞いていたヤマトさんが、はっと身を起こした。
「でも、人事の予算も、厳しいよね」
「実に厳しいです。これから、求人を出すには、半端な時期にもなりますし」
「…じゃあ、いったん、切りあげよう。ごめん、神谷」
「いえ…」
当然のことながら、送別会も中止です、と言い残して木戸さんが出ていった後も、しばらく私たちは、言葉もなく呆けていた。
ヤマトさんを見ると、困り果てたような顔と、目が合う。
ぽつりと、彼がつぶやいた。
どーしよ。