副社長は溺愛御曹司
「ああ、あるよ」
尋ねてみると、意外なことに、あっさり答えが返ってくる。
作業を終えて、デスクに向き直ったヤマトさんは、私が持っていったボトル缶のコーヒーを開けながら、けろりと言った。
「それを、使うわけにはいかないんですか?」
「だって、かなり最終手段て感じだよ。別に俺は、かまわないけど」
いつもどおりの、デスクの前の位置に戻り、置いておいた書類について説明しかけた手がとまる。
ヤマトさんは封筒から、簡易製本された契約書の草案を取り出して、赤でチェックを入れつつ目を通しはじめた。
いったい、どんな方法なの?
そんな疑問が、私の顔に表れていたんだろう、ヤマトさんが文書から目を上げると、平然と言う。
「俺と神谷が、結婚すればいいんだよ」
「けっ…」
「この会社、社内で結婚したら、夫婦は別部署、最低でも別チームが鉄則だから。少なくとも神谷は、秘書室にはいられなくなる」
私は、心の中で、久良子さんの名前を恨みがましく叫んだ。
訊かせないでよ、こんなこと!
「でも、広報とか行っちゃう可能性もあるから、いまいち確実じゃないんだよな」
「はあ」
問題は、そこなのか。
あはは、と気楽に笑う彼に、照れる時と照れない時の基準がわからん、と腹が立った。
あくまで自分のペースなら、平気なわけ?
「顔、赤いよ」
にやっと笑って見あげられるのに。
当たり前です、と言い捨てて。
私は、悔しまぎれに、足音も高く、執務室を後にした。