春秋恋語り
「どうしてこっちに帰ってきたの? 東京の方が刺激があったんじゃないの」
「いろいろあったんです」
20歳代を過ごした都会はそれなりに楽しかったが、仕事に関しては厳しい世界だった。
30歳を過ぎた頃、このまま一人で頑張るか、当時交際していた男性との結婚を真剣に考えてみようか……と迷いはじめたとき、体調を崩し一時入院した。
入院と休養で数週間休んだあと職場に復帰したが、元のような仕事を任せてはもらえなかった。
交際相手は退職していいよと、暗に結婚をほのめかしたが、それでは何かに負けたような気がしてならなかった。
このままでいいのかとの迷いは深まるばかり。
そうこうするうちに、いつまでも気持ちを決めない私に愛想を尽かしたのか、彼との仲も怪しくなった。
地元で団体職員の採用があるがどうだろうかと、父から電話があったのはそんなときだった。
滅多に電話などしない父だったが、帰省した折、私の迷いを感じていたのかもしれない。
合格したら帰ろうと決め、私は採用試験を受けた。
「そうなんだ……よく頑張ったね」
肩に手が置かれ、少し引寄せられた。
私の頭を手で傾けると、御木本さんは自分の肩へと乗せた。
しばらくそのまま前を見続けたが、暖かい季節とは言え真夜中の風は冷たく、二人の体を冷やしていった。
「寒くなったな。中に入ろう」
「そうですね」
部屋に入ったら、そのまま寝室へ向かうものだと心を決めていたのに、彼は私をソファへと座らせると奥の部屋へと姿を消し、そのあと着替えた姿で戻ってきた。
手にはトレーナーが握られていた。
「これ、着替えに使って。鳥居さん、どこで寝る? ソファか、ベッドでもいいけど 俺のベッドじゃ嫌だろう?」
「押し倒されるか、ベッドルームに行くのかと思ってたけど、そうじゃないみたいですね」
御木本さんが、あはは……と笑い出した。
「そうしたいところだけど、家訓を思いだしたんだ」
「家訓? 御木本家にはどんな家訓があるんですか」
「飲んだら乗るなって言われてる。車にも女にも」
「乗るなって、えーっ、あはは、笑える。面白すぎです、それ……」
そのときの私は、酔いも手伝って笑いが止まらなくなっていた。
さっきまでの緊張感はなんだったのよ。
私の覚悟は?
あはは、もうどうでもいいわ。
だって、乗るなって、だめ、可笑しくてお腹が変になりそう。
散々笑い続けた私を見つめていた彼は、笑いが治まるのをじっと待ってから、優しく抱きしめてくれた。
「鳥居さんをひとりで帰したくなかった。俺もひとりでいたくなかった」
その夜、私は御木本さんの部屋に泊まった。