春秋恋語り
風邪は治りましたか、回復したら会いましょうと田代さんから電話があり、田代さんに会うために週明け出かけた。
待ち合わせのレストランに行くと田代さんは先に来ていて、私の顔を見ると、「元気になりましたね」とにこやかに微笑んだが、私が切り出した言葉に顔から微笑が消えた。
「今日は田代さんにお話があってきました」
「返事じゃないんですね……僕にとっては聞きたくない話みたいだな」
間をおいては話辛くなると思い、私はひと息に話をはじめた。
田代さんのお話は受けられません、申し訳ありません、これまでありがとうございましたと告げ、深く頭を下げた。
「聞かせてもらえませんか。僕がライバルに負けた理由を」
「ライバルって……」
「鳥居さんの心に、誰かがいるんじゃないかと思っていました。
だから返事を急いだんだけど、逆効果だったのかな」
「いえ、私が迷っていただけです」
「風邪をひいている間に、気持ちが変化したみたいですね」
「そう……ですね。まさか、来てくれるとは思わなかったので……」
「来てくれたって?」
「田代さんから電話をもらったとき具合が悪くて、同じように彼から電話をもらって……
私の様子がおかしいと思ったらしくて、新幹線に飛び乗ったって」
「新幹線? 彼はどこから?」
「東京です」
「東京かぁ……ふぅ……鳥居さんの体が気になって、新幹線で駆けつけたのか。まいったな」
「熱が高くて倒れたんです。彼が来てくれなかったら……」
倒れたんですかと驚きながら、僕は鳥居さんの近くにいながら何にもできなかったんですねと、田代さんの声は暗く沈んだ。
「鳥居さんの風邪の声を聞いたのに、僕は動こうとしなかった。
鳥居さんを見舞うことは考えたけど、部屋に行って看病しようとは思わなかった。
はなっから、そんなのは自分には無理だって決めてました」
これまで見たこともないような田代さんの落胆振りだった。
いつも自信に満ち溢れていてスマートで、何事にも積極的な印象があったのに、今日の田代さんは弱い部分が見えてくる。
「どうしてあなたの部屋に行かなかったんだろう。
体調が悪いと聞いて心配しながら、どこか人ごとだった……敗因はここですね」
田代さんらしい。
自分の行動を見つめなおして、何が悪いのかを突き止める。
この人の、この冷静なところも魅力だった。
けれど、御木本さんの何もかも振り切って来てくれた情熱にはかなわない。
「言い訳じゃありませんけど、彼とは、彼が転勤してから会ってなくて。
だから、田代さんとお会いしている間は、あの……」
「今回のことがなかったら、鳥居さんが風邪をひかなかったら、僕のところに来てくれましたか」
「……そうですね。きっとそうしたと思います」
「僕はチャンスをつかみ損ねたのか。今頃後悔しても遅いですけどね。
良く言われるんです、おまえは体裁を気にしすぎるって、もっと自分を出せってね」
「私もそうでした。いままでは……」
「先に春をつかみましたね。僕も今回の反省点を参考に、今度こそ」
「反省点を参考になんて田代さんらしい……応援してますから」
「ありがとう。来年の春は、僕も誰かと桜を見られたらいいな。今年の桜は散ったようだから」
今年の桜は散ったなんて、田代さん流の敗北宣言。
でも、この人なら、きっと自分に合う人を見つけ出すだろう。
レストランから見える桜の木は、花の盛りを終え葉桜の姿になっていた。
春の終わりに、少し切ない別れと嬉しい出発がやってきた。
私の春は、これから始まる。
御木本さんと一緒に、来年も再来年も、変わらず過ごせますように。
田代さんの思いも実りますように……
新芽をたたえた枝に、彼と私たちの未来を願った。