春秋恋語り
満月にワインをかざして
1 ひとりの夏
電車を降り、夜空を仰いだ。
月が浮かんでいたが満月にはほど遠く、欠けた部分が霞んでぼんやりとしている。
万感の思いを込めて願うには、欠けた月では効き目がないか……
電車のとなりに座っていたOLが開いていた女性誌の記事のタイトルが見え、
”ふん、こんなことに願掛けするなんて” と白んだ思いがしたものだが、
欠けた月を見ると、完全なものを求める気持ちがわからなくもない。
『満月に ロゼワインをかざして飲むと 恋が叶う』
ワインをかかげ、密かに月に願うと想いが通じるのだそうだ。
月に願いを……か。
どこかで聞いた台詞だと思いながら、マンションまでの道のりを歩き出した。
この願掛けを知ってれば、あのときの想いが叶ったのか。
まさか……
自分らしくもない発想に、ばかばかしいとつぶやいた。
誰もが前を向いて歩き出す春。
そんな春の出会いは、久しぶりに気持ちを高ぶらせ、新芽の勢いのごとく期待を煽った。
何もかもが上手くいくと信じていた。
グイグイとこちらのペースで進め一気に押し、間をおかず会う日を重ね、彼女の満更でもない顔に安心していた。
ほかのヤツに、かっさらわれるなんてことなど思いもせずに……
元気のない彼女の声を聞いたのに、動こうとしなかった自分の愚かしさを思うたびに、今でも後悔が襲う。
前へと歩みかけた体は、春の暖かさに背を向けることになった。
誰かを好きになったことなど忘れたように、深夜の帰宅もものともせず仕事へのめり込む毎日を過ごした。
いつのまにか春は遠くへ過ぎ去り、夜風も生ぬるい暑い夏へと移っていた。
階段をのぼるだけで背中が汗ばむ。
疲れた体を押し込むように部屋に入ると、もしかしたら出迎えてくれたかもしれない彼女のかわりに、暗闇とムッとした熱気が僕を待っていた。
一瞬の寂しさに、猫でも飼おうかなんて気になってくる。
「猫はいいぞ。女と違ってこっちを裏切らない。多少気まぐれなところはあるが、部屋に入ると にゃぁ って擦り寄ってくるんだから、女なんていらないと思うくらいだ。
田代、おまえも一匹どうだ。サークルの仲間が貰い手を探してるんだ」
似たり寄ったりの境遇の先輩は、何度目かの女との別れのあと猫に癒しを求めたようだ。
シングルの男達で結成された 『猫の会』 ……本当は、ちゃんとした名前があるのだが覚えていない。
僕の失恋を知ってか、猫のオーナーになることをしきりに勧め、すでに何枚も ”猫の見合い写真” を見せられた。
「ピンとくるコがいたら、すぐに教えてくれ。猫との相性はフィーリングだよ。第一印象が肝心なんだ」
どれも美猫らしいのだが、ピンとくるどころか猫の顔なんてみんな同じに見える僕には、先輩の言うところのフィーリングもまったく感じられない。
つまるところ、彼らは彼女のかわりに猫を相手に満足しているってことじゃないか。
そんなの願い下げだね、と強がっていたが……
暗闇と熱気の部屋へ帰りつくと、猫でもいいから ニャァ と迎えてくれたらなんてことを考えた。