春秋恋語り


とにかく部屋の熱気を逃そうと窓に手を伸ばしかけて、握っていた郵便物の存在を思い出した。 

ダイレクトメールや請求書に混ざって、懐かしい校名が目に入り引き抜いた。

中学校の名前の入った封筒は同窓会の案内で、封を開き中を見ると翌年正月の開催とある。

半年も前に準備をするのか、大掛かりな同窓会なんだろうな。

僕らが卒業した年度が担当幹事らしく、幹事の面々に覚えのある名前が連なっていた。 

名前から当時の様子がおぼろげに浮かび、だんだん鮮明になってきた。

家の都合で卒業後転居したため、ほかの同級生とは学区の違う高校へと進学し、大学も県外に進んだため卒業後同じ中学の仲間に誰一人会っていない。


『吹奏楽部創部30周年につき、OBの方は同窓会後親睦会を行いますので、どうぞご参加ください』


同窓会の案内の下に、こんな添え書きを見つけた。

中学高校時代は吹奏楽にのめりこんだ。

運動部に入部するつもりでいたのに、入学式の新入生入場時の生演奏に衝撃を受け、迷わず吹奏楽部へと入部した。

その年は男子部員が大豊作で、僕を含めて10人ほどが入部したため、毎年男子が少ないと嘆いてた顧問を喜ばせたものだ。

金管楽器パートの充実をと意気込む顧問と先輩たちに、運動部さながらにしごかれた。

腹筋背筋を鍛える筋トレが楽器を吹くのに役立つのか、かなり疑問に思いながら言われたままにこなしていたが、

トレーニングを重ねるうちに音に厚みが出るのを実感し、それからというもの率先して筋トレに励んだものだ。 


女の先輩たちにも可愛がられたなぁ。

後輩たちも慕ってくれて、男子部員もずいぶん増えて、3年生の夏のコンクールは創部初の金賞で、みんなで泣いて喜んだっけ。


後輩たちの顔を思い出しながら、浮かんだ顔のひとつに胸の鼓動が大きく音を立てた。

卒業後、大杉千晶には再会した。

母親の葬式で見た大人びた彼女の横顔に、心の奥が大きく揺れたことまで思い出した。

大学受験を控えた僕には、彼女のその後を気遣う余裕などなく、年賀状のやり取りも喪中を境に途絶えたため、16歳の秋に訪れた不幸が彼女のその後の人生にどう影響したのか、今となっては知る術はない。


そうだ、吹部 (すいぶ) の誰かが知っているかもしれない。

待てよ、大杉本人がくるかもしれない。

当時の練習風景を思い出しながら、懐かしい顔がいくつか浮かぶ。 

彼らに会いに行くのも悪くないか。

さっそくペンをとり 『同窓会 出席』 と 『吹奏楽部 親睦会』 に大きく丸をつけた。


< 29 / 89 >

この作品をシェア

pagetop