春秋恋語り
大きなホテルともなればカフェも一箇所ではなく、メインロビーから離れた一角に腰を落ち着けた。
誰が見ているわけでもあるまいが、同じホテル内で時間をおいて相手をかえて会うことへ、少々の後ろめたさがあった。
コーヒーを二杯飲んだあとだが、ほかに飲みたいドリンクもなく、またコーヒーを注文する。
人待ち顔でじっとしているのもどうかと思い、売店で目に付いた雑誌を一冊持ってここへ来た。
ページをめくるものの、文字を追っても目に入らない。
頭の中は、十数年ぶりに再会した大杉のことばかりだった。
女の子は変わるというが、こんなに変わるものなのか。
化粧や着るもののせいだけではなく、雰囲気そのものが変わっていた。
母親を亡くして、父と下の兄弟の世話で苦労したことだろう。
葬式で目にした彼女は、しっかり者の長女の印象が強く、おそらく家族にも頼られ、母のなきあとの家を支えてきたのではないか。
彼女から聞いたわけでもないが、僕の中の父子家庭像から、これまでの大杉の人生を想像した。
去年こっちに帰ってきたって言ってたけど、仕事をやめてってことなんだろうか、それとも 彼女の仕事が転勤になったのか。
大杉のことだから頑張ったんだろうなぁ、管理職になってるかもしれない。
管理職で転勤ともなると、家族は……家族って……あっ……
自分の想像力のなさに愕然とした。
今の今まで、彼女は結婚してないと決め付けていたのだからどうしようもない。
夫の転勤で地元に戻ってきたってことも、十分に考えられる。
待て、そうなると今日これから呼び出したのはまずかったんじゃないのか。
家庭がある女性に 「これから会わないか」 なんて、言ってよかったのだろうか。
けれど彼女は首を縦にふった、会うことを承知した。
これって……不倫……になるのか?
ちょっと待て!
それは違う、まだ何も起こってないんだ、不倫などではない。
けれど、見合いのあと、二人っきりで会ったと誰かの耳に入ったら、それこそまずいことになるのではないか。
次から次へと浮かぶ不安要素に、僕は頭を抱え込んだ。
今日会うのはやめようと連絡したくとも、こちらの連絡先は教えたが、大杉から連絡がない限りどうにもならないのだ。
彼女が無事にやってきたら、会って話をして、それでおしまいにする。
よし、これでいい。
だが、もし、もしも、まだ独身だったら……
ふいにホテルの一室とベッドが頭に浮かび、首を乱暴に振ってあわてて妄想を打ち消した。
開いたままの雑誌はめくられることはなく、冷めたコーヒーを前にしながら一時間ほどをラウンジですごした。
そろそろ来るだろうかと時計を見たときの着信に、待ってましたとばかりに応答した。
『すみません、まだユキちゃんの家なんです。
送ってすぐに帰るつもりが、叔母に引き止められてしまって。
今日の結果が気になってたらしくて、あの……これからでもかまいませんか』
『それはいいけど、大杉は夜出かけて大丈夫? 急に誘ったから迷惑じゃなかったかな』
大杉が結婚しているんじゃないかと思うと、強く誘うのがためらわれ、気を遣いながらも、こっちはかまわないよとの姿勢を見せた。
『迷惑なんて……そんなことないです。渋滞しているので時間がかかると思いますけど。
それとも別の日に……』
『いいよ、待ってるから。気をつけて来て』
『はい』
「はい」 と言った彼女の短い返事に、それまでの迷いと心配が払拭された。
夜でも出かけられるってことは、自分の意思で行動できるってわけで……
心配はいらないようだ。
うーん……と大きな伸びをして緊張をほぐすと、長居をしたカフェを出た。
ロビーの椅子に座り、今度こそ読むために雑誌をめくる。
遅くなりましたと声をかけられるまで、僕は雑誌の記事に没頭していた。
思ったよりも渋滞がひどくてと、申し訳なさそうに謝る大杉の顔は、付き添っていたときの印象とは何かが変わっていた。
先ほどはなかった耳元からのぞく揺れるピアスが、彼女の顔を華やかに見せていると気がついたのは、スカイラウンジへ向かうエレベーターの中だった。