春秋恋語り
こんなときでさえ気丈に振舞うのか。
病院の時のように胸になだれ込むのかと思っていたのに、懸命に体を支え僕を見つめ続けている。
「こんなときは、男の胸にすがるんじゃないの?」
「できません。そんなこと」
「どこまでも強情だな」
「可愛くないって言われ……あっ」
我慢比べも限界だ。
引き寄せた体は口ほどには抵抗せず、僕の腕に黙って抱かれている。
この期に及んで意地を張る大杉が、憎らしいほど可愛いかった。
「名前、知ってたんですね」
「名前?」
「さっき、父に私のこと、その……」
「知ってるよ。大杉千晶、千の結晶だから、名前の通り頑固だ」
ひどいなぁと甘えた声がして、僕の胸を柔らかく叩く。
腕の中の大杉は素直だった。
「ワインバーで、月に向かって願い事をしただろう。ロゼワインにこだわってたね」
「あれは、ちょっとした遊びです」
「満月にロゼワインをかざして飲むと恋が叶うって、知ってる?」
見上げた目は、これ以上開かないというほど見開かれ、どうして知ってるんですか? と聞き返したが、はっとした顔のまま慌てて口をふさいだ。
「大杉が、誰を想って願いを込めたのか気になった。僕だといいなと思った」
「あのおまじない、先輩も知ってたんですね。わぁ、恥ずかしい」
僕を見上げた顔を両手が覆う。
指の間から見える頬が、みるみる赤く染まっていった。
「で、相手は、誰?」
「また言うんですか」
「またって、いつ言った?」
「ワインバーで」
ワインバーでそんな話をしただろうか。
遠回しに僕の気持ちを彼女に伝えた覚えはあるが、彼女からの意思表示はなく、酔ってますかと言われて、酔ってるよと言い返し、大杉の手を握って、僕をどう思っているのかと聞いた。
首を傾けて微笑む顔で、彼女が告げた言葉は……
あっ 思い出した!
抜け落ちていた記憶が、いま鮮明によみがえる。
”先輩を好きになってもいいですか”
そうだ、確かにあのとき大杉は、僕にこう言った。
”いいよ” って彼女に返事もしたのに、どうしてこんな大事なことを忘れてしまったのか。
彼女の告白を聞きながら、酔った頭は記憶を忘れ、僕に悶々とした思いだけを残した。
大杉が、真っ赤な顔を隠すように胸に押し付けてきた。
僕の自惚れも満更ではなかったということだ。
「しばらくは会えないけど、時間を作って帰ってくるから」
返事の代わりに、背中に回した大杉の手が僕をギュッと抱きしめた。
「待っててくれる?」
うなずくだけで返事はなく、顔を見せてと言っても、恥ずかしいのかイヤイヤと首を振るばかり。
休明けには出張が控えている、ゆっくり会える時間はもうわずかしかない。
抱きしめるだけでは足りない、もっと確かな手応えが欲しい、こうなったら実力行使だ。
胸にすがりつく大杉を力づくで引き剥がし、頬を両手ではさんで引き寄せた。
初めて触れる唇を優しくいたわる余裕はなく、気持ちをぶつけるように貪った。
僕の熱が伝わったのか、初めは受身だった唇も次第に意思を持って応じるようになった。
長い長いキスは、素直になれなかったそれまでの想いを払拭し、いつしか体を横たえて抱き合っていた。
その夜、僕は大杉の部屋に泊まった。
肌に触れたいと思うのは、好意を抱く相手に対して自然な感情だ。
出発までの残された時間を、僕らは触れ合うことに費やした。