春秋恋語り
出張先の勤務は思いのほか激務で、慣れないこともあり休日にまで仕事が及んでいた。
当初の予定では二週間後に一度戻るつもりでいたのに、とてもとてもそんな余裕はなく、このままでは一ヶ月間をこちらで過ごしかねない。
せっかく千晶の気持ちをつかんだのに、このままでは距離ができてしまうではないか。
なんとしても今週末は帰るつもりで、残業もものともせず仕事に打ち込む日々が続いていた。
帰りの遅い僕に、どうしてそんなに仕事をするんだと同僚が尋ねてきた。
「週末帰るつもりなんだ」
「はぁん、カノジョか。会いに帰るより、こっちに来てもらえばいいじゃないか」
「そうだが……」
入院中の父親のそばを離れることはできないため、彼女に会うためには僕が帰るほかないのだが、そんな事情を親しくもない同僚に話すつもりはなかった。
僕が言葉を濁したため、同僚は妙な誤解をしたようだ。
「カノジョの言いなりか。そんなんじゃ先は見えてるな。ここに来たヤツのほとんどが別れてる。遠恋は無理だよ」
「冗談じゃない!」
僕の声に驚いたのか、無責任な発言をした同僚は ”ふん” と鼻を鳴らして食堂から出て行った。
何が ”ほとんどが別れてる” だ、そんなことになってたまるか。
彼女とは始まったばかりで、毎日話をしても足りないくらいで、腕に抱いたのだって、出張に立つ前の二日間だけ。
まだ千晶の全部を覚えているほど抱いてもいないのに、別れるなどとんでもない。
千晶の柔らかい肌の感触を思い出し、顔と手が火照ってきた。
想像するには不似合いな食堂のテーブルから立ち上がり、トレイを棚に戻すと、食堂から部屋へ繋がる渡り廊下に足早にでた。
窓から月が見え、ふいに足を止め夜空を見上げた。
満月か……
”ロゼワインの願いは叶った?”
”叶った……と思います”
”自信がなさそうだね”
”まだ 信じられなくて……”
急な展開に戸惑っているのか、それとも安心する言葉が欲しいのか。
千晶の気持ちを安心させるには、態度で示すしかないと思った。
いや、彼女のためだけじゃない、僕がそうしたかったのだ。
満月の願いは叶ったのだと証明するために、僕は彼女に触れた。
千晶と名前を呼びながら……
思い出すたびに恥ずかしくなる一場面を、もう何度となく思い出し恥ずかしさに身もだえする。
妄想だか空想だか現実にあったことなのか、それさえもわからなくなるほどくり返し頭の中に思い描いた彼女との時は、会えない時間を埋めてくれるにはあまりにも短いものだった。
火照った手を握りこみ、廊下の壁に一発打ち込んで、部屋に続く廊下をまた歩き始めた。
痛みの走った拳だけが現実のものに思える月の夜だった。