春秋恋語り
くるりと体の向きをかえ、丸まっている柔らかい体を抱え顎の下に頭を押し込むと、僕と同じコンディショナーの香りがした。
「あとで……」
「はい?」
「お父さんの病院に行こうか。行っても大丈夫?」
「それはかまいませんけど、あの、見舞いとか気にしないでください」
「このまえは自己紹介だけだったから、きちんとご挨拶しておきたくて」
「挨拶ですか? このまえので充分です」
それじゃ僕の気持ちが収まらないんだと言いかけて言葉を止めた。
お父さんより先に、千晶に言うべきだと気がついたのだ。
そうはいっても、さてなんと言って話を持ち出したらいいのか。
気を遣うとかそんなんじゃないからと続けようとした僕の言葉をさえぎるように、千晶は 「お腹すきましたね」 と見当違いな事を言い出した。
いや、朝だからまったくの見当違いでもない。
その証拠に、僕の胃袋は恥ずかしいくらい大きな音をたてて空腹を訴えていた。
「すぐに用意しますね」 と笑いながら僕の腕の中からするりと抜け出すと、千晶は立ち上がった。
そのすばやさは、僕の言葉を聞きたくないのかと誤解したくなるほどで、引き止めるまもなく離れていったのだ。
用意が出来たら呼びますからねと、キッチンから声がかかる。
勢いをそがれ、僕はふてくされたように布団に大の字になった。
ほどなく食事の用意が出来たと呼ばれ、気を取り直して布団から飛び起きる。
洗面を済ませ、今度こそ伝えるぞと鏡の中の自分に誓った。
「朝ごはん、ちゃんと食べてますか?」
「必ず食べるよ、朝は欠かしたことがない。一人のときも、パンとコーヒーくらいだけど、食べるようにしてたからね。食事は活動の動力源だから、朝食抜きは体のバランスが崩れる。というか、決まったことをやらないと落ち着かないんだ」
「らしいですね」
「らしい?」
「決めたことをきちんとするところです。自分に厳しくて、それを実行してしまうところ。すごいなぁって」
「四角四面な性格だってだけだよ。融通が利かないってよく言われるよ……
だからってわけじゃないけど、話しておきたいことがあるんだ」
これ幸いと、僕は話の流れを利用して、強引に話題を自分の方へと持ってきた。
「やっぱりお父さんにお会いしたい。こういったことは、けじめが大事だと思うから」
「けじめですか」
「うん……僕は……」
そこまで言うと、持っていたカップをテーブルの上に置いた。
これから大事な話をするぞと宣言するように、千晶の目を見て息を整える。
「これから先も、千晶とずっと一緒にいたいと思ってる。結婚を前提にってことだけど……
急にこんなことを思ったんじゃない、まえから考えていたことだ。会ってから間もないけど、でも、そうなりたいって気持ちは、時間に比例するものじゃないと思う」
「はい」
肯定する ”はい” なのか 返事の ”はい” なのか見極めたくて千晶の顔をじっと見る。
口元が柔らかく緩んだから、僕の思いに同意してくれたと確信した。
「僕たちがきちんとした付き合いをしているとわかったら、お父さんももっと元気になられるんじゃないかな。
川村さんも言ってたじゃないか、お父さん嬉しそうだったって。お父さんのためにもお話したいんだ」
一気に言って肩の力を抜いた。