春秋恋語り
つかんだ腕が冷たかった。
夜の冷気にさらされ頬はほんのり染まっていたが、唇は色を失いかけている。
澄みきった夜空と満月は、いまの彼女には必要のないものでむしろ迷惑かもしれない。
満月へのこだわりも時と場合による、僕の密かな計画は予定を変更するしかないようだ。
引き止めておきながら、やっぱり部屋に入ろうかと千晶の背中を押して部屋に入り窓を閉めた。
ソファに座り指を組み、これから言葉にするシナリオを頭から引き出したものの、いざ言葉にしようとすると迷いがあり、冒頭部分を削除するところからはじまり、各所の言葉を差し替えシナリオを組み立て直す。
話があると言いながら、なかなか話を切り出さない僕を落ち着かせようと思ったのか、温かい飲み物でも入れましょうかと立ち上がりかけた千晶を制し座らせた。
彼女のこんなところが僕を惹きつけるのだ。
話を始めると、とかく理屈が先行してしまう僕の言い分をじっと聞いているのだが、話の筋道が整わず思考の中に迷い込んでいると、いまのように気分転換をさりげなく勧めてくる。
否定のない相槌は聞き手としては最高で、千晶には誰にも話したことのない込み入ったことまで聞いてもらった。
これまでは僕が欲しいと思うものを受け取るばかりで、彼女に与えたこともなければ求められたこともなかったように思う。
今夜こそ彼女の欲しい言葉を伝えなければ……
まだ完全ではないが、話の内容はほぼまとまった。
完璧である必要はない、ありのままの気持ちを彼女に伝えようと決めた。
「お父さんは話を聞いてくれる人が欲しかったって、さっき言ったね……僕もそうだった」
「えっ? はっ、はい。父はそうだと思います。田代さんも?」
突然切り出したため言葉の意味を理解できなかったのか、不意をつかれた千晶は慌てて相槌をうってきた。
前置きもなく話をはじめるなど僕にはないことだから、きっと面食らっただろう。
「僕も千晶との毎日の電話が楽しくて、今日はこんな話をしようって準備して待ってたよ」
「話題を準備するなんて、田代さんらしいですね」
「そうやって僕の話をきちんと受け止めてくれる。それがいいんだ」
「受け止めたなんて、そんな大げさじゃありません……私も電話を待ってましたから」
毎晩よく電話しましたね、おかげでテレビを見なくなりましたからと彼女が言うので、無料通話サービスに助けられたよ、あのサービスがなかったらすごい請求額だと言うと、
「正規料金って考えただけでも恐ろしいですね。いったいいくらくらい?」
「携帯がなかった頃、遠距離で彼女と付き合ってたっていう先輩に聞いたけど、毎月5万とか6万の電話代だったらしいよ。多い時は10万近くかかったって」
わぁ……と大げさに顔をしかめてから、昔じゃなくてよかったねと顔を見合わせてうなずきあった。
「みんなそうだと思いますけど、自分の話を聞いてもらうのって嬉しいですね」
「だけど、相手は誰でもいいってわけじゃないだろう? 僕は千晶に聞いてもらいたい」
いきなり核心に触れたため返事の困ったのか、「わたし……」 と言ったきり言葉が途切れてしまったが、彼女の返事を待たずに一気に話を進めた。