春秋恋語り
喉が渇いたな、そうつぶやいて思い出した。
忘れてた……思わず声にしていた。
何を忘れたんですか? と不思議そうな彼女に手招きをして冷蔵庫の前に来るように誘った。
「これ、一緒に飲もうと思って用意してたんだ」
「ロゼワイン……あっ、今夜は満月」
冷えすぎたボトルを冷蔵庫から出し、あらかじめ頼んでおいたワイングラスをテーブルに並べた。
栓を抜きグラスに注ぐ。
思いは一緒のようで、ともに立ち上がり窓辺に歩み寄り、満月にグラスをかざした。
「乾杯しようか」
「何に乾杯しますか?」
「未来に」
「わぁ……」
「カッコつけすぎって思った?」
「いいえ ”未来へ” って ワインを飲むときに言うつもりで用意してた! そうでしょう」
「まぁね」
「やっぱり……それから……旅行を今日に決めたのは満月だから」
「うん」
「このホテルを選んだのは満月がよく見えるから。ベランダに出たのもロゼワインを用意したのも、全部私のために準備してくれたんですね。
田代さんってやっぱりすごいです。目標に向かって着々と進めていくんですから」
「あんまり褒めないでくれよ。ワインのこと忘れてたんだから」
「そんなことないです。感激です」
間の抜けた演出になってしまったが、千晶が僕の思いを受け取って、着地に失敗した演出でも、こんなに感激してくれた。
「うん……千晶にプロポーズしてOKをもらって ”かんぱーい!” のはずだったんだけど、上手くいかないもんだな」
「そうですね、何もかもは予定通りにはいきません」
「いかないか……ここで指輪でも出てくれば完璧」
「えっ、指輪も用意したんですか?」
「と思ったけど、サイズがわからなかった」
もぉ、やだ。笑いすぎてワイン飲めませんと、グラスの中身がこぼれるほど体を揺らして千晶が笑っている。
予定通りにいかないから、不測の事態が起こるから、人生は思うようにいかないのだ。
予想外に歩み寄った、僕と千晶の心がここにあるように……
ロゼワインの香りのただようシーツの上で、甘い吐息にまじり、千晶が初めて僕の名前を呼んでくれたのも予想外の出来事だったのだから。