春秋恋語り
御木本先輩が卒業したあと千晶は入学したので二人が顔を合わせる機会はなかったが、同じ中学の出身であるため共通の話題はいくらでもあった。
先輩の担任の先生は卒業生を送り出したあと新入生の担当となったそうで、
「田代の奥さん、数学は柴ティーだった?」
「柴ティー! わぁ懐かしい。そうです、数学は柴崎先生でした。
今夜いらっしゃってましたね。お話されましたか」
「会ったよ。夏休みの宿題の量がすごくて苦労したって、20年前の文句を言ってきた」
”田代の奥さん” と言われ、なんともくすぐったい思いだった。
千晶の左手薬指に光る指輪を見るたびに彼女と結婚したんだなと意識していたが、第三者に 「田代の奥さん」 と呼ばれたことで結婚を実感した。
そうか、こんなことで結婚を実感するのか……と、ひとりで感心していると、段差につまずきかけた千晶を迷いもなく腕に抱えた自分にも少々感動した。
何事も理由付けが必要で確実なものでしか実感できない僕が、千晶に対しては考えるより前に体が動いている。
夫婦は一心同体……こういうことかと、また感心した。
遠くからヘッドライトの明かりが近づき、一台の車が玄関前のロータリーへと入ってきた。
係員に誘導され脇の駐車場に止まったのだが、見るともなしに運転席を見て息をのんだ。
運転席の女性も同じだったようで、こちらを凝視しその目は大きく見開かれ驚きを隠せずにいる。
僕らは数メートルを隔てて見詰め合っていた。
彼女の目が御木本先輩へ向けられたことで、先輩と彼女の関係を悟った。
その人は、去年の春に出会ったが僕の手をとることなく去った女性だった。
”鳥居さんが選んだのは、御木本先輩だったのか……”
僕の方から鳥居さんに頭を下げた。
向こうからもすぐに礼があったが、気まずいのか車からなかなか降りてこない。
そうだと思い立ち先輩に声をかけた。
「御木本さん、奥さんじゃないですか?」
「おっ、きたな」
まだ車の中にいる彼女へこちらに来るようにと手招きをしている御木本さんの後ろに立ち、僕は千晶をそばに呼んで肩に手をおき引き寄せた。
”桜を一緒に見る相手ができました”……と鳥居さんに報告するように。
それまでの戸惑った顔が驚きに変わったあと、最高の笑顔をみせてくれたのだった。
御木本さん夫婦を見送り会場に戻りかけたが、千晶の顔に疲れが見えロビーの椅子に座らせた。
素直に座ったところを見ると彼女も疲れを感じていたらしい。
「みんなに久しぶりに会って興奮したんじゃないか」
「ついつい話し込んで体のこと忘れてました」
ふぅーっと、ゆっくり息を吐き腹部をさすっている。
体が楽になる呼吸法を、母親でもある先輩たちに教わったそうだ。
「御木本さんの奥さんがおなかを触らせてくださいって、私のおなかをさわってくれたんですよ」
「興味があったのかな」
「妊婦さんのおなかを触ると、子どもが授かると言われるんですよ」
「おまじないみたいなものかな」
「おなかの赤ちゃんってパワーがありそうでしょう? きっと御木本さんも……」
「うん、そうなるといいね」
車から降りてきた鳥居さんも一緒にしばらく話をしたが、僕も彼女も知り合いだとは口にしなかった。
会話から互いの今の様子がわかったのだから、いまさら話すこともない。
「田代の奥さんオメデタだって」 の御木本先輩の言葉に、「えっ」 と飛び上がるほど反応されたときはちょっと困ったが……
それもしかたがない。
春に別れを告げられた僕が、冬には結婚していて妻は妊娠中なんて、驚くなってほうが無理だろうから。