桜の国のアリス
第二章 サクラノキ
『ほらほら桜くん、泣かないで。』
桜の姉の桃(もも)は、桜にそう話しかけていた。
涙など出ていないし、目線も同じ。
なのに、まるでこれは小さな子供にするかのようなあやし方だ。
桃姉ちゃん…、そう言おうとして、桜は声が出なかった。
それからすこし経って、ああこれは夢なのか…、桜はそう気付いた。
『もう はそんなこと言って…。』
桃はそう言いながら桜の頭を撫でる。
何と言っているのか、わからない。
そして目線は桜ではない、その後ろの何かに向けられていた。
「……ん…」
桜はゆっくりと目を開けた。
そこに差し込む光。
そのあまりの眩しさに、思わず目を閉じる…。
「……なんで桜くんって……」
桜はもう一度ゆっくりと目を開けた。
やはり光が眩しい。
目を細めると桜の視界に何かがよぎった。
ひらひらと舞う何かは、光に反射して色が分からなかった。
それがいくつもいくつも視界をよぎる。
手を伸ばせば、それは桜の手の中に。
それを見れば、桜は思わず声を漏らした。
「……どうして、桜が…?」
今は二月のはず…。そうして桜は自分が穴に落ちたのだということを思いだし、飛び起きた。
――――ざわ……ざわ……
そんな音がするんじゃないか。
そこは、目を見張る程の桜並木だった。
それは数もさることながら、一つ一つの美しさは言葉に出来ないほどだった。
「わぁ……」
桜は小さな子供のように口をポカンと開けていた。
少しの間はそのように桜を堪能していた桜だったが、ふと、あることに気がついた。
「ここは……どこだ……。」
確かに桜は美しい。
しかし、一面桜のために、場所の特定がまったく出来ない。
しかも、今は二月のはずだ。
狂った桜ですら咲くはずがない。
そう思うと奇妙な場所だ。
ここがどこだかわからなかったが、ここに留まっていても仕方がない。
「よう、目は覚めたか?」
!?
突然、後ろから声がした。
振り返ると、すぐ後ろの桜の木に少女がいた。
少女、とは言ってもウサギ耳の少女ほど小さくはない。
桜と同じくらいだ。
「…だ、誰だよお前。」
その少女は木から飛び降りると、ゆっくりと桜に近づいてきた。
「こっ、こっち来んな!」
桜も近付かれただけだけ後ろに下がるが、ついに後ろにあった木にぶつかってしまった。
「そんなに怯えなくてもいいじゃないか。
それとも、あいつに何かされたのか?」
クスッと笑い、その場で歩みを止めた。
「あいつってさっきの女の子のことか!?」
「女の子…?
……ああ、確かに今は女の、子…だな。
白ウサギは自分の名前、名乗らなかったのか?」
「白ウサギ………って!お前!近付いてくんな!!」
気付くと、その少女はまた桜に歩み寄っていた。
桜は下がろうとしたが、桜の木のせいでそれ以上下がれない。
それどころか散っている花びらに足をとられ、転んでしまった。
「ぷ……お前、少し落ち着け。」
「わ、笑うな!」
桜の顔はカッと赤くなる。
「…ぷっ…ハハッ、悪かった悪かった。
それよりいつまでそんなところに座っている気だ?
さっさと行くぞ。」
少女は桜に手を伸ばす。
しかし桜は「触るな!」そう言って手を払った。
「お前なぁ……私としては一向に構わないがな、お前一人じゃ何処にもいけないだろ?」
「っ……。」
「それとも、何か宛でもあるのか?
どうなんだ?ないんだろ?」
少女はじわじわと顔を近付けてくる。
それに伴い、桜の背中はぞわぞわとし始めた。
「わかったから離れてくれ!」そう言いかけたとき、少女の頭に三角形の物が二つ付いている事に気がついた。
それは黒く、髪と同化していたから分かりづらかったが、それは『猫耳』だ。
「っ!!!??」
声にならない悲鳴をあげる。
「?
……ああ、これか。」
少女は自分の耳に触れると、上下に揺らしてみる。
「さっきも見ただろ。
白ウサギに会ったんならな。」
「そ、それ何だよ!!」
「耳だ。」
「っ!!!
なっ、なんでそんなもんついてんだよ!!
人間じゃないのかよ!!」
「ああ。」
「!!!?」
「私は人間じゃあない。」
そう言うと少女は、半ば強引に桜の手を引っ張ると、桜は無理矢理立たされた。
「だからと言って、化け猫でもない。
私は……いや、私達は…」
少女は桜の木の幹に触れた。
そして
「お前だ。」
―――――?
桜の横を風が通り抜ける。
それに乗って桜の花びらも。
「行くぞ。」
突然少女は回れ右すると、その方向へ歩きだした。
「ちょっと待てよ!
お前が俺ってどういう意味だよ!
おい!」
「お前は『桜』だろ?
アリス?」
アリス―――――
「アリス?
アリスってなんだよ!」
桜が何度聞いても質問には答えてくれなかった。
しかも歩くのが速い。
桜は早歩きしながら少女に付いていった。
「なあ!!」
「あ、そうだ。」
少女は急に歩みを止めた。
そしてくるりと桜の方に振り返る。
「なっ!?」
危うくぶつかりそうになったが、なんとか止まれた。
「急に止まるな!」
「自己紹介をし忘れたと思ってな。」
「は?自己紹介?」
「ああ。」
少女は自分の胸に手を当てた。
「私はチェシャ猫。
アリスを導く者だ。」
白ウサギ、チェシャ猫、そしてアリス……
これではまるで…
「不思議の国へようこそアリス。
さあ、お前はどこへ行きたい?」