不誠実な恋
現実を目の前に叩きつけられても尚夢を見ていられるほどあたしは大人ではないし、それに真っ向から勝負を挑むほど強くもない。

所詮強がりは形だけであり、出来ることならば逃げ出したい。

「何の話?全く見当もつかないよ」
「ホントに?」
「…嘘。転勤の話だろ?」
「まぁ、大まかに言えばね」

一部上場企業の営業推進部。そこは、学生時代からエリートの道を歩んできたこの男が納まってしまうには狭すぎる世界だった。

もっと大きな舞台へ上がればいいのに。と、上司の推薦を蹴るたびに諭してきた。
未来を夢見て、それが叶わぬ夢と知りながら。

腕の中から逃げ出したあたしをゆっくりと見上げ、そして引き寄せる。


思いのほか強く抱き締められ完全に言い出すタイミングを逃してしまったあたしは、諦めにも似た深い溜息を吐き出し、アッシュグレーの短い髪を撫でる。今日中に言い出せるだろうか。と、走馬灯のように蘇ってくる学生時代の記憶を無理矢理に拒絶しながら。

「遠いんだっけ?転勤先」
「大阪。新幹線なら三時間くらいかな」

ドタバタと、その場の勢いで話を纏めて来たのだろうか。肩口に残る赤い痕が痛々しい。
少なからず傷ついたこの人を、更に傷つけるような真似をするのは酷だろうか。

そんなことを思いながら、そこにそっと唇を寄せた。

「別れたくないって泣かれた?」
「んー。泣かれたって言うよりも脅された」
「死んでやる!って?」
「そんな感じ。参ったよ」

そう出来ればどれほど楽になるだろう。
あの女性の存在など知らないふりをして、この想いだけを真っ直ぐにぶつけることが出来たならば。

回された腕が強く腰を抱きあたしの前で跪いた状態の清太郎は、とても幸せそうに髪を撫でられていて。


壊された夢の欠片は、もう拾い集めることが出来ないほどに遠くに弾け飛んでしまっているというのに。
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