猫 の 帰 る 城
「今日、社長と喧嘩した」
低い声が寝室に響いた。真夜中の一時過ぎ。
僕の背中から差し込む月明かりが、小夜子の顔を青白く照らしている。
僕は彼女を見つめた。
「…モデル事務所の?」
「そう。私を拾ってくれた人。ここ何日ずっと喧嘩してる」
「どうして」
丁寧にマニキュアを塗った爪が、二つ目のボタンを外した。小夜子は手元に目を落としたまま、淡々と答える。
「よく言う方向性の違い、ってやつね。ドラマの仕事が来たの。もちろん大した役じゃないんだけどね。事務所としては、わたしに女優業もやって欲しいんだって。ほら、うちの事務所ってそんなに大きくないから」
小夜子は二十代女性向けの、ファッション雑誌でモデルをしている。
所属モデルの中では、特集や自分のコーナーを持ってるくらいだし、もともと人気はあったのだろう。
しかし最近、清涼飲料水と下着のコマーシャルに出たことを機に、あっという間に有名人の仲間入りを果たしてしまった。
小さな事務所の稼ぎ頭が、いまや小夜子であると言っても過言はない。