猫 の 帰 る 城
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「クリスマスは、一緒に過ごせないの」
すっかり常連になった真優は、いつものスツールで僕を見上げていた。
店を開けたばかりで、ほかに客はいない。
大学はすでに冬休みを迎えている。
聖夜が近づき、人々が浮かれているのをよそに、僕は無心で労働に励んでいた。
相変わらず一心不乱に、かつ忠実に、小夜子の記憶を払拭することだけを考えて、無駄に勤労している。
そのおかげで、僕のシフトは年末までびっちり詰め込まれていた。
カウンター下の冷蔵庫から、氷のブロックを取り出して答える。
「ここの仕事があるからね。たぶん閉店まで拘束される」
僕の働くバーは、それほど大きな店ではなかった。
従業員も店長を除けば、僕のほかにアルバイトがふたりだけだ。
それでも、すっかりイベント化したキリストの誕生日は、それなりにせわしない。
セックス前の男女が、いい雰囲気になるよう、援助しなければならない任務がある。
華々しくライトに照らされる主演の後ろには、黒装束に黒頭巾を着用した黒子が必要なのだ。
「ふうん。つまんないの…」
真優が少しだけ残念そうな顔をする。
僕はアイスピックを短めに握り、氷のかたまりを突いた。
透明な氷の中を鋭い線が走る。
どんなに大きく、固い氷も、一旦ひび割れてしまうと脆かった。
もう一度、ひびの入ったところを狙って突いた。
僕はできるだけ柔らかな声で続ける。
「二十五日は遅番なんだ。夜の八時には出勤しなきゃいけないけど、それまでで良ければ、一緒に過ごそう」
僕の言葉に、パッと花が咲いたような笑顔を見せる。
彼女は身体も心も大人になっていたけれど、笑うとひどく幼く見えた。
その純粋さが救いになることもあったが、かえって苦しくなるときもある。
自分のずるさや醜さが、否が応でも浮き彫りにされるからだ。
「ほんとう。じゃあ、うちに来て。たくさんお料理作って待ってる」
真優が席を立つと同時に、入れ替わるようにして別の客が入ってきた。
僕が働き始める以前からの常連客だ。
最近通うようになった真優とも顔見知りになったようで、彼女とひとこと挨拶を交わす。
僕は商業的な笑顔を作り出迎えた。
だから嬉しそうに店を出ていく真優を、見送らなかった。