月下の幻影


 そういえば、浜崎の国境で椿の花を持って帰ろうとしていた。

 考えてみれば、紗也の個人的なことはほとんど知らない。

 祝宴などに同席したことがあるので、食べ物の好き嫌いは多少知っているが、何が好きで何に興味を持っていたのか全く知らない。

 話をしても基本的に和成は聞き役で、何かを訊きたくても家臣の身では立ち入ったことを訊くわけにもいかなかった。

 紗也の好きなことや喜ぶことを何ひとつ知らなかったから、誰にも知られてはならない想いだったから、紗也に何も贈り物をしたことがない。

 想いを伝える言葉さえも。

 和成は何の気なしに、鏡台の一番上の引き出しを引いた。
 引き出しの中は髪飾りがたくさん入っていた。
 髪飾りも花をかたどったものが多い。

 引き出しの隅に一つだけ、透明な箱に入った青い花の髪飾りがあった。
 明らかに別格なその髪飾りを持ち上げて和成は見つめた。


「これ……」


 そして、すっかり忘れ去っていた記憶が蘇った。

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