あふれるほどの愛を君に
そして、彼女のマンションの前まで来た僕は
「サクラ……さん──」
目を見張り、その場に立ち止まった。
40メートル程離れているだろうか。街灯はあるがよくは見えない。
だけどすぐにわかった。例え影しか見えなくても、僕がサクラさんを見間違えるわけがないんだ。
僅かに首を傾げ左側を見上げた彼女の視線の先には、二つのキャリーケースを引いた背の高いシルエットがある。
小型のキャリーケースの一つはサクラさんので、淡い桜色をしたそれは、去年の秋にふたりで一緒に選んだものだ。
”ベリーペール オーキッドピンク”
色の名前を読み上げようとして、舌を噛みそうになった僕を彼女が笑ったっけ……。
「可愛いすぎないかな」と躊躇う彼女に、
「可愛いすぎて似合ってるよ」って僕が勧めたんだよな──
だんだん近づいてくるふたつの影に、心臓が冷えていくような妙な感覚を覚えた。
─なにしてんだよ……?
冷えきった胸の中が気持ち悪くて………楽しげな笑い声が耳に届いた瞬間、僕は慌てて踵を返した。