SSS
全国中学生予防接種週間
つるりとした白い階段は、
足をかけるたびに
きゅっ、と上履きのゴムの音を響かせた。この新校舎にも、だいぶ慣れたもんだな。そんな事を思いながら僕はまた一段上に足をかける。きゅっ、とまた音がする。教室は四階。今は二階。ゆっくり歩けば自習なんて出ない事もできるだろう。僕は出席番号は遅いほうだ。
「少子化」の文字をテレビで見ない日がなくなった今、僕らの学校も生徒が少なくなって困っていた。そこでつい数週間前の夏休み明け、つまり二学期が始まると同時に、僕らの中学は隣町の中学と合併、この新築校舎に移行した。
通い続けて二年目になる学校を離れるのは、抵抗がないとは言えなかった。でもこの新しい校舎も、僕は嫌いじゃない。通常よりも多く大きく開けられた窓からは、銀色に輝く都会のビル群が整然と並んで見える。その隙間のずっと向こうには、小さく見える海がきらめいている。それと合わせると、ドームのように丸い卵型の天井の、この広い白い校舎は、まるで未来都市の宇宙ステーションみたいなのだ。
「あ、重叶(エト)くん。」
不意に呼ばれて、僕はびくっと身体を震わせた。鈴の音のような女子の声だ。僕を下の名前で呼ぶ女子なんて数えるくらいしかいない。大抵は「永星(ナガホシ)くん」とか、「永星」とか呼ぶ。つまり、名字のほう。名前で呼ぶのは自分を可愛いと思ってる奴らか、変わり種の女の子だ。
それで、この声は変わり種のほう。
「飛河(ヒュウガ)さん。どうしたの、こんなとこで。」
数段先の踊り場の、銀色の手すりの先にぽつんと腰掛けていた女子に僕は声をかけた。授業中とあって、ほかは誰もいない。
艶のある、肩に届かないくらいのボブの黒髪が、首を傾げて揺れた。
「翼(ツバサ)って呼んでくれていいって、いってるのに…。私、今日は予防接種受けてないから、暇つぶし。事前に受けたんだー。」
そういって黒目がちな丸い目で瞬きした。長いまつげがゆっくりと上下して、なんとなく蝶みたいだ。
そう、僕は予防接種を受けて保健室からもどるところだったのだ。
それにしても。
改めて飛河さんを見つめてみる。
陶器のような真っ白な肌に、真っ黒な髪。大きな目。華奢な体。
見た目だけで冷静に判断すれば、学年でも指折りに可愛い事は公認だ。
でも…
「その帽子、風紀委員としては注意したいんだけどな。」
僕は飛河さんがいつもかぶっている帽子を指差した。戦闘機のパイロットがかぶるみたいな、ゴーグルがついている変な帽子。
「なんで?校則違反じゃないよ?」
「たしかにうちは校則ゆるいけど、変に目立つだろ。」
「わたし、気にしないよ。」
「そうじゃなくて…。」
そう。こいつは変なんだ。だから見た目ほどモテたりはしない。人気はあるけど友達止まりである。もしこいつが男で、見た目も悪かったら、殴りたくなるかもしれない。そのくらい他人とズレている。僕はため息をついた。相手に悪気がないからタチが悪い。
「重叶くんだって、風紀委員のくせに、自習さぼろうとしてるじゃん。こんなにゆっくり階段登る人なんて、初めて見た。」
ころころと笑いながら飛河さんが言った。
「それは健全な学生の習性だよ。」
笑顔を見上げながら僕は肩をすくめて見せる。
「もう授業終わるよ。もどろうか。」
そういいながら手すりから飛び降りた飛河さんが、やけにスローモーションに見えた。