傷、そして…約束。
一、
「もう泣かないんスね」

『時』というものはとても冷酷で、たとえ友が死のうとも肉親が死のうとも、無表情のまま秒針を刻み続ける。

上司の恋人が不慮の事故で亡くなってから3日が過ぎた。
恋人が生きていたほんの数日前と変わらずに黙々と書類にペンを走らせている我が上司、芦井萌葱に向けて俺は思ったことを素直に言ってみた。
しかし彼女は驚くでもなく、いつも通りの余裕の笑みで「まさか」と言った。
「私はそんなに弱い女じゃないわ。それくらい分かっているでしょう、津来」
名前を呼ばれた俺は、この仕事場に来てから2本目になる煙草に火を付けた。
すう・・・と煙を吸い込み、吐き出す。
もうもうとヤニ臭さが充満していく。
「それもそうッスね」
アンタは強いヒトだ、と津来は笑った。

恋人が、もうこの世に居ないことを受け入れたんだ。

人体は主にタンパク質で出来ている。
それは肉体を構成する為には必要不可欠な物質だ。
そして死んだ遺体は埋葬され、時とともに朽ちる。
それはやがて土に溶け肥やしとなり地上の草花を育てる。
そう、全てが上手く循環しているのだ。
まるで大きなループのように。

「でもね、先輩。俺はアンタのその強さが怖いんだ」
一転、真顔に戻る。
萌葱は「何故」と刺すような視線を俺にぶつける。


・・・・・・強い人間ほど、簡単に壊れてしまうから。

「死なないで下さいね、先輩」
首を傾げる萌葱に近付いて、触れるだけの口付けを落とす。
すると彼女は哀しそうに微笑って呟いた。
「約束は出来ないわ」

静かになった室内には、時を刻む音だけが無情に響いていた。


終。
< 1 / 1 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

夕暮れの、修羅
/著

総文字数/1,411

その他2ページ

表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop